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カテゴリ:アガルタ
「チベットの白き道」 冬季チベット高原単独自転車横断6500キロ 安東浩正 1999/4 山と渓谷社 尾崎豊のライブ・フィルム放送を聞きながら、この本を読んでいた。 尾崎とこの本は、どこかで繋がる気がする。いやダイレクトに繋がっているはずだ。チベット高原を自転車で単独横断する25歳の日本青年。1995年1月。 ある旅行者は語る。「その少女は青いケシの花咲く高原で、放心したような美しい大地の踊りを踊っていた」と。 またある者は語る。「その少女は独り歌を口ずさんでいた。その声はどこまでも透き通った青い空に溶け込んでしまうようにきれいだったが、突然歌うのをやめてしまった」と。 そしてまたある者は語る。「その少女はしゃがみ込んで泣いていた。黒い大きな影が彼女の上に覆いかぶさってきて、独り悲しげに震えていた」と。 もう何年も長い間旅を続けている予言者のような旅人はこうぼくに言った。「彼女は君を待っている」と。 ぼくはその旅で様々な国を歴訪したが、その少数民族の国まで足を延ばすことが出来なかった。帰国し、大陸の夢から覚めた時、すでに雲南はぼくから遠い存在になっていた。 大学を卒業し、企業に入ると、それは手の届かない遥かな世界となり、もはや実在しない空想の世界とまで感じられ始めた。 ぼくはある時すべてを放擲(ほうてき)し、その幻影を求めて旅にでた。p15 彼のスケールなどには遠く及ばないが、思い出してみると、私の旅も自転車での旅たちだった。16歳の秋休みに佐渡ヶ島までの5日間。バイパスを走り、坂を上り、下り、トラックに自転車ごとヒッチハイクし、お寺の離れのお堂に泊めてもらった。秋の新潟平野は、一面の秋の香りだった。佐渡に渡り、自転車で横断した。小さな島だが、金山の露天掘りなどの観光地があった。船着場でまた一泊し、その後、雨に打たれながらも、また奥羽山脈を自転車で超えた。 あれから、いくつか旅をした。旅人だった。バックパッキングでヒッチハイクで北海道から沖縄まで旅をした。時には単発で、あるときには何人かとツルんで。わずかだが、外国にも行った。インドやスリランカ、アメリカ、タイ、グアム・・・。でもいつの間にか、旅人と自分を思う季節は過ぎてしまった。 この本を読んでいて、また、新たな旅にでるのもいいかなぁ、と思った。 ---君の選んだ道は荒野へと続くだろう。決して楽な道ではない。だけれども、それが君の運命なのだ。 さあ行こう。僕はいにしえの道に向けて、ギャンツェに向けて、ペダルをこぎ始めた。ヘッセがその道を向こうでぼくを待っているような気がした。p73 ヘルマン・ヘッセを、私もまた読みたくなった。ヘッセの「ガラス玉演戯」は私にとってのレムリアへと続く。 おお! まさにぼくは今、映画「失われた地平線」で描かれていた伝説のヒマラヤの聖域へと至ろうとしているのだ。かつて禁断の都と呼ばれたチベットの聖都ラサ。ちょっと前までそこに至ることすら難しく、そうでなくなってからまだほんの10年も経っていない。ぼくはここヒマラヤの聖域に至る道を幾度となく空想した。荒野の中をさすらう巡礼者となって、まさに餓えと渇きで倒れそうになった瞬間、ゆらゆらと蜃気楼のようにぼくの前に現れた謎の巨大な建築物、それがポタラ宮殿だった。p87 旅のあちこちで撮影されたカラーページの写真がとても美しい。チベットの中で、自転車と著者が光っている。 近づくにしたがって、その巨大な峰が威圧的に迫ってくる。左にカンティセ山並みがある。この山脈はトランス・ヒマラヤとも呼ばれている。それは「ヒマラヤの彼方にある山脈」という意味だ。 道の脇には幾つものマニ石の塚が現れ始めた。オンマニパミフン、オンマニパミフン、そこに掘り込まれた経文は、「おお、蓮華の中の聖なる宝珠よ」と唱えられている。p245
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Last updated
2009.03.31 12:37:29
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