地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく
「ブータン 地球の歩き方」
2005/2 ダイヤモンド・ビッグ社
呼吸が苦しくなって、よもや高山病にならんと感じるようなチベット高原やヒマラヤの写真を見たあとに、ブータンの写真を見ると、救われる。緑があり、森がある。田園風景さえある。人口700万といわれるチベット人に比べて、70万人といわれるブータンは小国だ。チベットから見ると、下界に見下ろす谷の底のような土地である。
砂漠の中の放浪の民モンゴルから見ても、ブータンは、同じチベット密教に影響された隣国とは言え、凛としたプライドを持ったあなどらざる王国である。ブータンでは中国共産党のチベット支配、インドのシッキム地方併合などを睨みながら、自らのアイディンティティを高める意味でも、民族衣装を着ることを勧めているという。
そのブータンの民の衣装は、どこか日本の江戸時代や明治時代初期の風景にさえ思えるから不思議だ。ましてや、その顔も、子ども時代に、クラスのなかにこんな奴いたなぁ、と思わせるような懐かしい感じをもつことが多い。
仏教文化を中心とした美術品も、当然ながら、チベット密教の影響を強く受けているが、目がだんだん慣れてくると、そこにはやはり明確は違いがあるようだ。チベット美術は、時には、あまりにも幾何学的と思えるほどの象徴性の純化を感じるが、ブータンの美術には、どこかゆとりというか、詰めきらない甘さというか、やわらかさを感じる。これは、多分、雪の国チベットと、緑の国ブータンの違いがでてきているのだろう。工芸品や民芸品の数々も美しい。
このブログを書いていると、ついつい例のマントラを探すクセがついてしまっているが、写真や名称としては紹介されているが、マントラそのものは紹介されていない。ひょっとすると、そのマントラへの固執度は、かなり緩和されているのかも知れない。
マニ車は内部に経文を印刷した紙を収めた回転体で、一回転させれば、その経をお読んだのと同じ功徳があるという便利な品である。ブータンの宗教的建築物の周りには必ずといっていいほどこれが作り付けられていて、参拝者はマニ車を次々に回しながら、建物全体を回っていく。マニ車を回すときの注意は、真言が書かれたドラマの部分ではなく、その下の取っ手の付いた軸の部分を持って、必ず時計回りに回すことだ。寺院の入り口や人の集まる交差点には、人の背丈よりも高い大マニ車が設置されているのをよく見かける。片手で持って回す金属製のマニ・ラコルは、ブータンではチベットほど一般的ではなく、なぜか老人が持っていることが多い。村の近くの小川などには、水車を使った水力マニ車、つまりマニ・チョコルがある。p44
オムマニパドメフム