一橋大学名誉教授の渡辺治(わたなべおさむ)氏は、3・11以降デモに参加する市民が増えつつあることについて、3月19日の東京新聞で次のように語りました;
デモ行進や集会で、市民が自分たちの意見を表現する自由は、民主主義社会を成り立たせる土台でもあるため、憲法で保障された基本的人権の中でも、とりわけ重要な位置を占めています。
戦前の日本では、治安警察法など多くの治安法令による規制の下で、国民は戦争反対の声を表明できないまま、戦争に引きずられていきました。その反省から戦後の日本国憲法は、表現の自由を強く保障したのです。
昨年、チュニジアの政変をきっかけに中東各地に広がった「アラブの春」が象徴的ですが、デモや集会が大きな力を持ち、政治を変えた経験が日本にないわけではありません。
1950~70年代前半にかけ、世界で最も市民や学生が発言しデモ行進などの行動をしていたのは、おそらく韓国でも欧米でもなく、日本でした。軍国主義復活に反対する市民や学生の声が、政治を転換し、憲法改正を食い止めたのです。
ところが、70年代後半から日本でデモや集会が少なくなりました。原因の一つは、労働者がデモに参加しなくなったからです。
「企業社会」が確立する中、民間企業の労働組合は、要求をデモや集会で訴えるのでなく、企業の繁栄とともに自分たちの生活の向上を目指すようになったのです。
もう一つは、過激派と呼ばれる人たちの暴力的活動がエスカレートし、危険を感じた市民がデモや集会から遠ざかったためです。それを格好の口実に警察が厳しく規制するようになった。マスコミもデモを取り上げなくなり、デモは冬の時代を迎えました。
東京電力福島第一原発事故後、各地で無数の集会やデモが行われるようになりました。これまでもデモや集会に参加してきた中高年に加えて、大量の若者たち、さらに自らを「ポスト3・11系」と呼ぶ、赤ん坊を抱えた母親、父親らが参加するようになりました。
原発事故は階層や地域、年齢を超えて、日本社会に深刻なダメージを与えました。それでも、民主党政権は依然として原発を再稼働しようとし、原発の被害を過小評価し情報隠しをした。
これに対して市民が「放射能の被害から子どもをどう守ればいいんだろう」「自分たちが立ち上がらなくては変わらない」と声をあげた。この自覚が非常に大事なんです。
ところが警察は、こうした動きに過剰に神経をとがらせています。昨年9月の東京・新宿での反原発デモで逮捕者が出ました。デモが憲法上、重要な人権だということを警察当局が分かっていないのは問題です。
東日本大震災や原発事故の後、今まで政治や原発に全く関心のなかった人たちが立ち上がったことは、日本社会を前進させる転換点になりうる出来事です。政治を自分たちの手に取り戻す大きなうねりになることを期待しています。 (聞き手・加藤文)
2012年3月19日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「芽生えた『動こう』」から引用
私たちの日本は、戦前はお上の政治に反対することができず、戦争反対を主張できなかったために侵略戦争に動員されることになってしまいました。これを反省して、現在の憲法は国民の言論・表現の自由を保障しているわけです。しかし、警察が市民がデモをしようとすることに神経をとがらせるというのは、本末転倒です。警察は公務員として憲法を遵守する義務を負っているのですから、市民の民主的なデモを、暴力的な大音量で妨害しようとする右翼からまもるべきであり、右翼の取り締まりにこそ神経をとがらせていただきたいものでございます。