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2015年10月22日
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テーマ:ニュース(99432)
カテゴリ:政治問題
 戦前の全体主義の社会の復活をめざす自民党の改憲草案は、現在の憲法を改悪するもので関係各方面から批判の声が上がっていますが、この改憲草案をどうしても実現したい自民党は全国の県連や商工会議所などを通じて改憲を訴えるマンガを配布中です。このマンガについて、現在の憲法を改悪する様々な問題点を、弁護士の諸富健氏は月刊「世界」7月号で次のように訴えています;


(前半省略)

◆ツッコミ(1)基本的人権はワガママ?

 そもそも、何かのテーマについて議論するためには、議論の前提となる概念について認識を共有する必要がありますが、自民党憲法マンガは、憲法の基本的概念について誤解を与える表現をしています。

 一つは、「公共の福祉」についてです。日本国憲法第3章第12条(自由・権利の保持の責任とその濫用の禁止)が話題となり、一郎が「公共の福祉って?」と質問すると、千造が「公益。つまりはみんなの利益ってことじゃ」と答えます。

 しかし、公共の福祉とは、基本的人権の制約を正当化する概念で、従来の通説では「人権相互の矛盾対立を調整するための実質的公平の原理」などと説明されています。

 つまり、人権を制約できるものがあるとすれば、それは「他の人の生命や人権」だけだ、ということです。プライバシーの権利を保護するために知る権利を制約する、というのが典型的な場面です。

 公益とかみんなの利益で人権を制約できるとすると、多数者の利益のために少数者の人権が犠牲になることを許してしまいます。しかし、どれだけ多数の人が賛成しても侵し得ないところに、基本的人権の尊重の重要な意義があります。そのことを端的に示しているのが、日本国憲法第13条(個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉)です。

 残念ながら、自民党憲法マンガには、日本国憲法の中でも最も重要な条文の一つと言われるこの第13条が全く登場しません。それどころか、この「個人の尊重」という大切な概念を歪曲して攻撃するようなやりとりが出てきます。

 優子が、千造の公共の福祉についての説明を聞いて、「公益に反してなきゃ個人の幸福を追求するためなら何でもやっていいってこと?」と質問します。すると、千造は「原則はそのとおり!! ほかの人の人権を侵さなければ何をしても自由ってことじゃ!!」と答えます。続いて、司郎が「国際人権規約を見ると『国の安全、公の秩序または公衆の健康もしくは道徳の保護』に反する行動はダメと日本の憲法より厳密に書いてある」「つまりは基本的人権があるからといって何をしてもいいわけじゃないってことだ!!」と述べます。それを受けて、一郎が「そうでしょうねぇ。みんながワガママを主張したら社会は壊れちゃう」とうなずき、千造が「今の日本の憲法は個人主義的といえるのう」と畳みかけます。これを聞いた優子は、司郎の胸ぐらを掴みながら「日本じゃ国の安全に反してもワガママOKってこと!?」と叫びます(図1)。
日記151022.jpg

 このやりとりから、「今の日本国憲法は基本的人権を手厚く保障しすぎているから、国民一人一人がみんなワガママを言い放題で、日本の伝統的な和の精神が軽んじられている、このままではテロとか自然災害などで日本の安全が脅かされたときに適切に対処することができない、国の安全のためには基本的人権を今よりも制約すべきだ」という自民党の主張が伝わってきます。

 しかし、基本的人権は一人一人が生まれながらにして持っているもので、それを行使するのは当然。ワガママでも何でもありません。

 人権の行使が制約されるのは、先にも述べたとおり、他の人の生命や人権と衝突する場合だけです。それ以外に基本的人権が制約されることのないよう国家権力を制限する、これが近代憲法の中核をなす立憲主義という考え方であり、当然日本国憲法もその考え方に立脚しています。もし、多数者の意思を代表する国家権力が、公益やみんなの利益を振りかざして少数者の基本的人権を制約できるとすれば、それは戦前の全体主義への逆戻りに他なりません。

 このように、個人主義=ワガママと描き出して国民に誤解を与える手法、非常に問題があると言わざるを得ません。
(後半省略)

<もろとみ・たけし 弁護士。1973年生まれ。市民共同法律事務所所属(京都弁護士会)。京都大学法学部卒業、同志社大学法科大学院中退、2009年弁護士登録。「明日の自由を守る若手弁護士の会(あすわか)」設立時の呼びかけ人の一人、あすわかKYOTO事務局長。>


岩波書店「世界」2015年7月号 98ページ「相当ヘンだよ! ほのぼの一家」から一部を引用

 わが国憲法を敵視する人々には、共通する特徴があります。例えば憲法9条を批判する人たちは、必ず「外国の軍隊に侵略されたどうするんだ」と、あたかもある日突然、誰も気づかぬうちに敵の軍隊が我々の家屋の玄関に現れるかのように言いつのります。しかし、実際にはそのようなことは無いのであって、世界中の軍隊がどこで何をしてるか、わが国政府はしっかり認識しており、戦争準備どころか、ミサイル実験のレベルまで常時監視ができており、それ以前にわが国政府は、諸外国との間の問題を軍事力抜きで話し合いで解決してきております。このやり方が今後難しくなりそうな気配はありませんから、「外国の軍隊に侵略されたらどうするんだ」などという事態は基本的にないと考えるのが妥当というものでしょう。
 「基本的人権」についても、民主主義社会の基本でとなっているこの概念が、改憲を主張する人々には気に入らない項目で、これを攻撃する場合もいきなり「個人の幸福を追求するためなら何をやってもいいというのが『基本的人権』だ」などと故意に間違った主張をしています。しかし、私たちの社会では、やってはいけないことは法律で定められているのであって、これに違反した場合は重大な場合は罰則もあり極刑もあります。また、そこまで重大な問題でない場合でも、マナーとかエチケットなどが多くの市民の間に共有されており、社会は円滑に運営されているのが実情で、みんなが基本的人権を盾にわがままを言い合って社会が崩壊しそうだ、などというのは全くの「ウソ八百」で、詐欺のようなものです。したがって、国民の行動を規制する必要がある場合は、法律を作ってこれに望み、その際の法律が憲法に定めた基本的人権にそむくことがないかどうか、これを審議するのが国会の仕事と、こういう仕組みになっていることを、私たちは忘れてはいけません。
 自民党がやっきになって「基本的人権」を否定しにかかっているのは、やはり将来導入する「徴兵制」があるからではないでしょうか。自民党議員の中には、数年後の憲法改正で「基本的人権」は我が国憲法から姿を消すことになっていると決め込んでいる者が、かなりの数にのぼると推定されます。だから、武藤某のようにうっかり「戦争にいきたくないというのはワガママだ」などという発言が出てくるわけです。私たちは自民党が企む「改正」と称した実質「改悪」を許してはなりません。






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最終更新日  2015年10月22日 16時08分19秒
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