集英社新書で「悪の力」を出版した東京大学名誉教授の姜尚中氏は、10月4日の「しんぶん赤旗」のインタビューに応えて、昨今の世相について次のように述べている;
姜尚中さん(東京大学名誉教授)が、世にはびこる「悪」について考えた『悪の力』(集英社新書)を出しました。100万部のベストセラー『悩む力』に連なる「力」シリーズ最新刊。広い視野から時代を見据えてきた論客は、いまの時代をどうみているのか。
金子徹記者
本書では、川崎市の男子中学生殺害事件など、社会を驚かせた犯罪などを切り口に、古今東西の文学に表された「悪」も参照しながら「悪」との向き合い方を考えています。
「理解不可能な事件が起きると、みんな絶句してしまう。でも、もう少し深く、悪とは何かを聖書や文学作品を手掛かりに考え、いろいろな悪の姿を描いてみたかった」
専攻は政治学・政治思想史。東京大学教授だった湾岸戦争(1991年)のころから、テレビや新聞などさまざまなメディアに登場し、積極的に発言するようになりました。
「湾岸戦争のころは、映画のタイトルじゃないですが、『いま向こうにある危機』という感じでした。あれから四半世紀たち、いまの日本には、さまざまな面から『いまそこにある危機』という感覚が広がっていると思います。でも、悪にあらがう力も生まれています。一般の若者、大学生や高校生までが街頭に出る時代になりました。人間には、復元力があるのだと思います」
◆自分愛する能力
本書では、マネー資本主義を痛烈に批判。
「一番言いたかったのは、金融に特化したいまの資本主義自体が悪のシステムだということです。マネー資本主義がもたらす不平等や不公正が悪を培養し、世の中に悪を垂れ流している。マネーゲームが中毒症状のようにふくらんで、バブルがはじけると、そのしりぬぐいを庶民に押し付ける。これはもう病気だと思います」
私たちはどうすればいいのか-。
「もう一度、社会の共同体の体力を強くするしかないと思います。自己決定、自己責任の資本主義のなかで社会は弱体化してきました。でも、人間は結局、社会的存在なのです」
「在日2世」です。出自に向き合い、家族や周囲のおとなたちとのつながりがあったからこそ、差別や苦労とも折り合えた体験があります。東大を退官後、地方の私立大学の学長も経験。学生たちと接し、見えてきたのは。
「多くの学生が、生きがいを見いだせていないということです。学校側は学生に、グローバル化のなかで自己責任で、自己実現をはかりなさい、とバッハをかける。でも、多くの学生は大学に入る前から競争で傷ついている。そういうなかで学生たちは、生きていてよかったと思える生きがいが持てなくなっている。必要なのは、個々の孤立を深める自己責任論ではなく、世界と自分を愛する能力を育てることだと思います」
戦後70年の「安倍談話」にも強い懸念が。
「同じ価値観を共有する国と同盟を強化し、『積極的平和主義』を掲げ、価値観が違う、異質な国と向き合うという。安倍首相のいう『積極的平和主義』は武力行使という意味ですから、『平和のための武力行使』をするということです。恐ろしいメッセージです。これもひとつの悪だと思います。確かに中国は人権上、いろいろ問題がある。しかし、異質な国々や人々とは共存しあっていくしか道はありません。それをせず、アメリカが先制攻撃をしたのがイラク戦争で、それがいまのシリア問題にまでつながっています。どう考えてもこの『談話』はおかしい。批判の声をあげるのは当然のことです」
◆安保法制に憤り
安保法制の強行に憤ります。
「安保法制は、憲法の安定性と連続性を損ないかねない問題を抱えています。為政者のさじ加減で憲法解釈を変え、違憲と指摘されている安保法制を強行採決したのは”民主主義の存立危機事態”であり、立憲主義の危機です。次の選挙で有権者はどういう審判をくだすのか。民主主義の未来が問われます」
これからの日本は。
「憲法は、英語では体質という意味があります。憲法解釈を変えたということは、日本が体質を変えたということです。アルカリ性が酸性に変わるように市民生活が変わる。それは本当にいいことなのだろうか? すでにもう自衛隊は、国権の最高機関をスキップ(飛躍)して動きだしている。これまで異物であった自衛隊という『軍』と、市民社会が向き合う時代になってきます。海外派遣を拡大し、武器を買い、海外に駐留する自衛隊員をどんどん増やしていったら財政的に持つのかという懸念もあります」
「在日」の視点から。
「韓国では1980年、軍が自国民を殺す光州事件が起きました。軍が百万都市を包囲し、市民を虐殺した。韓国人は、文民統制の意味をよく分かっています。約25年かけて、軍事政権を文民統制の国へ変えました。韓国では、軍が前面に出てくる時代はもう終わったと思います。では、日本はどうか。韓国とは逆に、これから軍が前面に出る時代になるのか。敗戦で、アメリカから与えられた戦後民主主義がいま、問われています。市民社会の実力が試される時代になっています」
かん・さんじゅん=1950年熊本市生まれ。東京大学名老教授。著書に『マックス・ウェーバーと近代』『オリエンタリズムの彼方へ』『在日』ほか、小説作品に『母-オモニー』『心』
2015年10月4日 「しんぶん赤旗」日曜版 3ページ「垂れ流されるさまざまな”悪”を考える」から引用
韓国は軍事独裁体制から25年かけて文民統制の国へと生まれ変わったのに対し、軍隊を廃止して70年たった最近の日本では、軍隊を復活しようとする動きがまだ根絶されておらず、予断を許しません。しかし、その一方で平和憲法を擁護する市民も力を蓄えてきているので、こういう人々がこれからの平和国家・日本を支えていく屋台骨になっていくことを期待したいと思います。