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カテゴリ:サブカル・小説・映画
これにハマる世の男どもは、どこを面白いとおもっているのだろう。 おいらは、よくわからん。 おいらは、断然、姉妹(スール)制度のもつ「権力関係」そのものに目がいく。 華族の令嬢のためにつくられた、カトリック系リリアン女学園。 高等部では、擬似的に上級生と下級生が、「姉妹」の関係をとりかわす。 妹はお姉様の手ほどきでしつけられるという。 姉妹の関係をとりかわすとき、授受されるロザリオというアイテム。 この女学園、「巨大な監獄」でなくてなんであろう? てか、まんまパノプティコン(一望環視施設)じゃないの。 姉妹関係は、女性がより女性らしく振舞うことをもとめる。 姉の視線は、妹の身体に内在化され、妹の身体そのものを規格化してしまう。 こうして、姉にふさわしい妹になったとき、姉は卒業。 妹は姉となって、次の妹をさがし、この過程がくりかえされるのだ。 令嬢の再生産装置ですよ、旦那!!(なぜ、ここで旦那?) 姉妹制度は、ご令嬢をつくるシステムとして埋めこまれている。 「学校の黙認」なんかであるはずがない。 というか、全編が「悦び」の物語。 この小説の主人公福沢祐巳は、ロサ・キネンシス(赤薔薇様:生徒会長 そんな制度があるのです。わからない方は小説を読んでいただきたい) 小笠原祥子様にふさわしい妹になるために努力する。 姉がいなくても、妹になるようにふるまわせる、おそるべき監視装置ロザリオ。 承認願望をかなえられたとき、しばしば彼女が発する「お姉様!」のセリフ。 うううう。 「悦び」は、祐巳の身体をとらえて放さない。 「悦び」を介していざなわれる、象徴的去勢のない直接的関係性への回帰、 融合的一体化。 これ、そのまんま、ファシズムの穏喩じゃん。 てか、これくらいファシズムの愉悦を、融合的一体化の喜びを、 ダイレクトに謳いあげるライトノベルって、わたしは読んだ記憶がない。 なんて淫靡なイデオロギー装置であろう。 たいてい、男の欲望をそのまま投射するだけでおわるのに。 さすがは今野緒雪先生。女性だけにうまい。 というわけで、おいらは男どもに勧めてまわっております。 ところが、ルイ・アルチュセールやミシェル・フーコーなお話ができる人に限って、 なぜか読んでくれない。 悲しい。誰か読んでくださいな。 あと、結婚した男性も読んでくれない。 読むのは、もてなさそうなオタク野郎ばかりなんである。 あ、おいらもか。 まあ、オタクはファシストが多いから(笑)。 「これホント?」なんて言いつつ、読んでいる男には、女性は警戒したほうがいい。 男の欲望を捉えているのは、百合的な話なんかではない。 直接的関係性の回復を社会にむけて放つ、ファシズムの愉悦なのである、 な~んてね。 ネタバレになりますが、お話の方をそろそろ。 こんな話は、受け手における「転移」の問題であって、 この本とは本来なんの関係もないのに、長々とかいてしまってすみません。 今野先生は、とても繊細にお話をすすめている。 丁寧な複線のつくり方と、細やかな流れがとても心地よい。 やっぱり祐巳は可南子ではなく瞳子を妹に選ぶみたい。残念。 瞳子は「姉」になにをもとめているのだろう。 瞳子と乃梨子は、絶対同人誌かなんかで描かれるんでしょうねえ。 読みたいなあ。 そして由乃は、あの子とどんなスールの関係をつくるのだろう。 新聞部の新カップルはともかく、蔦子と笙子についてはおめでとうといいたい。 蔦子も祐巳も、細かい気配りができるからお幸せに。 前・三薔薇様揃い踏みは、ひさしぶり。 「中間報告」は、「選ぶ・選ばれる」にまつわる裸の関係を ここまでアカラさまに出すのはちょっと暴力的かな、と思った。 評価 ★★★★ 価格: ¥460 (税込) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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