|
テーマ:社会関係の書籍のレビュー(95)
カテゴリ:政治
いい加減にして欲しいね、朝日新聞。 9月30日の「NHK番組改編問題」の報告には、 ちょっぴり怒りを隠せない。 1月12日の報道の意義は何か、朝日新聞自体、分かっていないのではないかな。それは、朝日の言うような「NHKと政治の関係」を明らかにしたことにあるんじゃない。そもそも、ETV特集の異様な放送が電波にのったとき、まともな知性のある人間なら、そこに政治介入が存在したことくらい、理解できているよ。だからこそ、本田雅和は、ずっと4年間、政治介入の犯人捜しをしていた訳じゃないの。1月12日の新しさ。それは誰が政治介入の下手人か、明らかにした所にあるだろう。その程度で、1面にのせる価値があるのか。そんな疑問が湧くけど、それなりの良い記事であることは確か。 そして、記事内容も、十分なものであって、とりたてて非を打つ箇所もない。安倍と中川と松尾の3名が、何を話したか。会ったのはいつか。それは、3名以外、知りえる立場にあるものはいない。よって3名が報道の後、「口裏あわせ」をして否定しても、別に信用が否定されるわけではない。容疑者の家族が証言する、容疑者のアリバイは信用するな。犯罪捜査の鉄則であろう。 そのことは、『月刊現代』を書きおこした以下の箇所を参照して欲しい。↓ ★ 「NHK VS 朝日新聞」番組改編問題 (1) 忘れられた松尾武・元放送総局長証言の豊かな内容 ★ 「NHK VS 朝日新聞」番組改編問題 (2) ★ 「NHK VS 朝日新聞」番組改編問題 (3) ★ 「NHK VS 朝日新聞」番組改編問題 (4) ★ 「NHK VS 朝日新聞」番組改編問題 安倍晋三VS本田雅和 一問一答 松尾は、愛するNHKのため。 中川と安倍は、愛する政治家稼業のため。 3名の利害はみごとに一致している。 おまけに、1月12日直後の談話では、安倍晋三は「私は公平中立にとお願いした」と言っていた。ところが、いつのまにか、具体的に「ここが間違っている」と指摘できた中川昭一でもないくせに、報道被害者の仮面をかぶり始めた。あろうことか、最近は「取材不足であることを認めたなら、記事にすべきではなかったし、謝罪すべきだ。ねつ造記事であるということが明らかになったと言っていい。事実を認め謝罪しないのであれば、報道機関として信頼を回復し、立て直すことはできないだろう」 とコメントをしたらしい。バカか、安倍晋三。いったい、どこが捏造なのか。そして、安倍とNHKの関係とは、そもそもどのようなものだったのか。問題は多いものの、指摘した中川とは違って、一度として指摘したことがない安倍晋三。そんなおまえに、なぜ謝罪などする必要があるのだろうか(安倍はいつも本田記者攻撃しかしない)。こんなキチガイ地味た人間を首相にしてはなるまい。 さらに寒いことに安倍晋三はこんなことをいっている↓ あとでわかったのですが、私よりも前に中川さんに取材したときに、『安倍さんはもう認めた』とウソを言っていた。そんな子供騙しの引っかけで、正しい取材結果が得られるわけがないじゃないですか(『諸君!』2005年4月号インタビュー) 安倍晋三に聞いてみたい。 中川に「引っかけ」がない場合、得られるであろう 「正しい取材結果」とは、いったい何だったのだね。 一度でもいいから聴いてみたいもんだが。 「公平中立」にお願いしたことが分かったはずだ、とでもいいたいのか? NHK職員がわざわざ意見を拝聴しにきたとでもいいたいのか? まさか、夜遅く来るとは、本田記者が失礼である!!ではあるまいて (笑) そもそも中川は、番組前に「会ったことがない」のだから、 引っかかっても、なにも言えるはずがないのではないのか? 語るに落ちたとはこのことだ。(笑) くわえて、安倍晋三と中川昭一は違う人格である。同じ言葉をNHK職員に話すはずがないし、NHK職員もおなじ対応をする訳があるまい。「正しい」取材をした結果と、安倍晋三の想定する結果。この2つが同じになるとはかぎらない。なのに、安倍はどうして、自分が指摘できない、「捏造されていない」「正しい」取材結果とやらについて、本田雅和記者が得られたはず、と確信できるのかね。そもそも安倍関連の捏造とは、何にあたるのだ?まさしく、間接的に中川との間での口裏合わせを認めてしまっている のである。いつも思うのだが、安倍晋三は、本当にそそっかしい。とても、危なくて見ていられない。 その意味で、今さら検証記事を出す必要は、どこにもない。 はずである。だからこそ、朝日新聞社の思惑がどこにあるのか分からない。いったい、誰宛にこんなケッタイな検証記事を出しているのか。まったく見えてこないのだ。だからこそ、秘かに疑念がもたげてくる。ひょっとしたら、朝日新聞社は、安倍晋三、自民党へゴマをするために検証をくりかえしているのではないか。政権党へのシグナル。だからこそ、こんな無意味な記事を繰りかえしているのではないだろうか。 こうしてみると、7月の終わりに出された検証記事と、その後の『月刊現代』流出表面化、秋山新社長就任の流れが見えてくる。自民党と手打ちをしたいがため、やる必要もないのに「検証記事」をくりかえしのせる、政治部主導の秋山新体制。すでに、7月の中頃には、「取材不備」の方針で、検証記事を書くことは、社内に知られていただろう。録音テープを出すべきだという意見は、1月末には朝日サイドからとっくに流れていた。それを押しとどめられてしまっている不満。「完全な物証」を持ち、取材自体には瑕疵がないにもかかわらず、公にしようとしない執行部。そうした弱腰の執行部への反発として、録音取材を認めるべきというサイド、または社会部サイドから『月刊現代』へリークされたとみるのが、自然ではないだろうか。 そもそも、安倍晋三や自民党にゴマをするのは論外としても、反朝日の連中は、相手にするだけ無駄というもの。彼らの描く朝日新聞とは、ヒッチコック映画でいうなら、マクガフィンであり、ジョージ・カプランである。朝日新聞そのものには、実体がある訳ではない。何千もの記者による<分裂した主体>、それが朝日新聞であるはずだ。ところが、内容とは無関係に、朝日新聞ということで無理矢理<統一された主体>として仕立てあげられ、逸脱や反復が、ネタとして消費される。どんなに朝日が、反朝日の連中の提示するハードルを越えても(たとえば、彼らの信じる愛国的な振る舞いをおこなう)、新しいハードルが出てくるだけであろう。かれら反朝日とは北朝鮮と似たような連中なのであって、日本政府が北朝鮮を無視しているように、朝日は反朝日を無視する以外に方法はないのである。 反日といった批判など、気に病む必要はまったくない。むしろ、権力への妥協、体制へのすりよりこそ、朝日新聞の病巣ではないのかね。どうみても、『月刊現代』へのリークは、秋山・現執行部への反発としか読みとりようがない。政治部・経済部主導によって、失われたジャーナリズムへの不満はOBを中心に根強い。かつての朝日新聞は、正直、「読書欄」「文芸欄」において、かすかに薫るだけ。とくに、新聞の反体制部分(体制の外に出ることができるのか、という当然の問いは、ひとまず置いておく)のシンボル、ジャーナリズムの中核といえる社会部は、深刻な機能不全と不満をかかえているのではないか。ナベツネは、「帝国」とまでゆわれた読売新聞社会部を解体して、はじめて実権を握ることができた。事実、今の読売の社会部特ダネは、警察リーク情報だらけで、警察批判などお目にかかったことがない。朝日新聞の社会部がまともに機能しているのか。いささか疑念を感じるが、不祥事つづきの政治部や経済部と比べても、割りを一方的に食らっている感じがしないでもない。 4年連続、新聞協会賞を受賞した毎日新聞。これをみて分かるように、社会部が強くない新聞に価値はない。在野の、ジャーナリズムの、それぞれの原点にたちかえれ。権力にゴマをするのは、読売と産経があれば十分なのである。 今や、国営放送と化した民放テレビたち。小泉ブームをつくりだして、唖然とさせられるような選挙結果を生んでしまった、日本。今こそ、ネットにもテレビにはできない、<特集記事>と<問題設定能力><ニュースのウェイトづけ>という技ををもつ、新聞メディアの出番なのではないか。また、それを「啓蒙の担い手」としてではなく、事件や事象に関する「最初の読者」として、おこなってゆくこと。…「高度に専門化」した社会であるからこそ、逆に素人の目を必要とする逆説。「最初の読者」である記者の目は、この社会ではとても重要なのである。まだまだ新聞の役割は古びてはいないのだ。 ゴマすりの迷妄(?)からさめて、一刻もはやい、ジャーナリズムの正道(?)へ戻ることを期待してやまない。 ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[政治] カテゴリの最新記事
|