2087442 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

書評日記  パペッティア通信

書評日記  パペッティア通信

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Calendar

Category

Favorite Blog

1977年のギリシアア… GKenさん

─ 灼熱 ─ HEAT1836さん
余多歩き くれどさん
tabaccosen breton005さん
ミョウの魅 stadanさん
ぶらぶらブラジル日記 Gaobrazilさん
沖縄でよんなよんな sinarsinarさん
りゅうちゃんミスト… りゅうちゃんミストラルさん
再出発日記 KUMA0504さん

Comments

山本22@ ブランド時計コピー 最高等級時計 世界の一流ブランド品N級の…
山本11@ 最高等級時計 店舗URL: <small> <a href="http://www.c…
よしはー@ Re:★ 小島毅 『近代日本の陽明学』 講談社選書メチエ (新刊)(09/26) 作者の独善性、非客観性をバッサリ切り捨…

Recent Posts

Archives

Jun , 2024
May , 2024
Apr , 2024
Mar , 2024
Feb , 2024
Jan , 2024
Dec , 2023
Nov , 2023
Oct , 2023
Sep , 2023

Freepage List

Keyword Search

▼キーワード検索

Oct 16, 2005
XML
カテゴリ:歴史


日本近代史に屹立する、満鉄と「元祖シンクタンク」満鉄調査部。

本日は、その満鉄調査部の興亡を追跡した、すばらしい本をご紹介いたします。「満州」を舞台にして時空を縦走。なによりも、重量級の著作でありながら、新書で発刊されたことが喜ばしい。

ざっとですが、簡単な要約をつけておきましょう。

● ロシア革命を転機に台頭した、満鉄調査部

1907年4月、調査部発足。台湾より統治権が不安定な満州では、全般的調査活動が不可欠、ということで、「文装的武備」をとなえる後藤新平の肝いりで誕生したものの、当初は地質調査・旧慣調査をおこなうにすぎなかった。ところが、ロシア・ブームによって、帝大卒の人材が大量流入していき、『満蒙全書』『満鉄月報』などが生まれたという。

● 1920年代、山本条太郎総裁就任による拡大路線と「統制経済」研究

トップが長州閥から政党出身者へ交替したことは、製鉄・製油・肥料工業への進出や新規路線建設などにみられる積極的な満鉄経営への路線転換とともに、シンクタンク強化へとつながった。それは1931年、満州事変後、満鉄経済調査会となって結実する。関東軍に非協力的であった老舗満鉄による、関東軍への全面協力。以後、4年半の間に、368件、1件平均400頁もの調査立案をおこなった。その中心にあった宮崎正義は、満州において統制経済に着手。それらは、岸信介たちに引き継がれる。彼らは、アメリカともソ連とも違う、軽工業は自由競争、重工業は国家統制という構想をいだいていた。それは、宮崎らの「満州産業開発5ヵ年年計画」に結実したという。

● 満鉄マルクス主義をめぐる2つの潮流

満州重工業の分離、占領地開発の断念によって、鉄道経営のみ専念させられた満鉄。そんな中で、1939年に「大調査部」が発足した。そこに流れこんだ、大量の「転向」マルクス主義者たち。とはいえ、1920年代から満鉄にいた大上末広・橘樸ら『満州評論』派は、「満州=半植民地・半封建。日本企業の満州進出によって、満州は変革する」「日中戦争=日本と欧米の中国市場争奪戦」という認識をもっていた。ところが、鈴木小兵衛に代表される「転向マルクス主義者」は、「満州=基本的変革は労働者・農民の力」「日中戦争=日本帝国主義VS中国抗日勢力(コミンテルン路線)」という認識であって、基礎研究重視をとなえて、大上らの国策協力には批判的であったという。1939年、敗戦を予測した「支那抗戦力調査」は、かれらの総合力が発揮された大調査だった。しかし、軍部の期待に反する報告は、やがて軍部による制裁を招いたという。

● 満鉄調査部事件によって、自殺したシンクタンク
● ゾルゲ-尾崎秀美との関係を立証できなかった憲兵隊


「地主・商人・高利貸の三位一体」=「糧桟」の満州経済支配を打破するため、満州国は「合作社」(農協)をつくっていた。それは、同時に過激な協同組合運動の巣窟にもなっていた。憲兵隊は、合作社関係者を治安維持法違反容疑で取り調べ、鈴木小兵衛の自供で、火の粉は満鉄調査部に全体に拡大してしまう。ダメージを最小限に抑えるため、満鉄は左翼リストを捜査本部に提出。そんな中で、鈴木小兵衛一派は大上たちへの批判を官憲に供述して、大上末広・石堂清倫らは沈黙・非協力を貫いたというコントラストは面白い。当初、この事件は、尾崎秀美指示による共産主義運動で立件しようとしたものの、できなかったことが明らかにされていくさまは圧巻。「体制内批判者」にして東亜協同体・民族主義者尾崎秀美という視点も、なかなか。


その割りに、60点しかつけてません。
なぜ、評価が低いか?
皆さんには、不思議がられるかもしれません。

この内容はいずれも、既出なんですよね。『満鉄経済調査会と南郷龍音』(社会評論社 2004年)『満鉄調査部事件の真相』(小学館 2004年)『満鉄 「知の集団」の誕生と死 』(吉川弘文館 1996年) … 彼の読者からすれば、物足りないことこの上ない。さらに、戦後の満鉄マルクス主義者のアカデミズムへの影響力も、もっと深く触れるべきではなかったか。そもそも戦前、体系的な社会科学は、マルクス主義くらいしか日本にはなかった。この一番大事な部分の説明がないと、戦後「勝利した思想としてのマルクス主義」ブームが理解できないのではないか。

また、気になることがもう一点。『日本帝国主義下の満州』(お茶の水書房、1973年)に収録された論文などをギトギトした油料理だとすれば、ここんところ『日中戦争と汪兆銘』(吉川弘文館, 2003年)といい、これといい、サラサラしたお茶漬のような感じがしてしまう。大先生が余力で書きましたという感がありますので、初心者向けであることは、確かなんですが。てか、余力で何冊書いてるんだろう…

かれの著作を既読の人には、お薦めできません。
読んでいない人、または満州国、引いては戦前の日本を学びたい人向け。
それでも、カルピスの原液を飲んでるような濃さですけど…。


評価 ★★★
価格: ¥735 (税込)

 ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Nov 7, 2005 07:11:05 AM
コメント(2) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.