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書評日記  パペッティア通信

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Oct 20, 2005
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カテゴリ:歴史


これを読まずして何を読む!!。
ホント、久しぶりに面白い中公新書が登場しました♪
読むに足るだけの力作がなくて、近年、とても辛かった。

本日、ご紹介するのは、現代中国の源流、清末に君臨した、西太后の伝記です。日本では、古い風聞・俗説にもとづいたイメージで語られがち。逆に、三女傑(漢の呂后、則天武后)と「封建反動」のイメージで塗りつぶされてしまうのが、中国。これまで西太后は、俗説だらけで、誕生地がどこかも判然としていなかったらしい。新たな一次資料などによって、装いもあたらしくなって、登場した西太后のイメージ。王朝末期、中国の息吹。これが泣けてくるくらい、面白い。

● 歴代では美人の部類に入るらしい西太后

清代「旗人」の中堅サラリーマン家庭に生まれた西太后。
明朝皇后は「色」で選ばれたのに対して、清朝の皇后選び「選秀女」は、八旗の子女に限られていてため、皇后たちはブスだらけだったという。そんな彼女は、頭が良くて字も読めて、後宮に入って四書五経、二十四史を読んでいた。西太后は実は読書家だったりするのだ。どうです?初耳でしょう。

● 咸豊帝VS恭親王の「皇位争い」のイザコザによって台頭した西太后

西洋列強は、数万人程度の軍隊と、補給の続く200キロぐらいしか、本来、内陸部には入れない。そこで、太平天国の乱のドサクサにまぎれ、アロー号戦争を仕掛けて攻めてきた英仏に対し、恭親王に「北京居残り」「英仏との外交交渉」を命じて、咸豊帝本人は内モンゴルの熱河避暑山荘(宮殿)にご逃亡、ちがった「巻き狩り」に出かけて、京劇三昧。心情的には排外主義者の恭親王。「鬼子六」(西洋のバケモノとつるむ六男坊)と呼ばれ、売国奴にされたからたまらない。咸豊帝死後の1861年、幼児同治帝をかかえる西太后は、咸豊帝側近で対外強硬派でもあった粛順一派の専横におびえ、恭親王とつるんでクーデター。粛順に筒抜けなのに、なぜかクーデターは大成功。西太后の垂簾政治がはじまる。 

● 現代の「軍閥」も「領土」も、西太后時代の中国がプロトタイプ

そんな西太后は、乾隆帝の生母「崇慶太后」の再来となることを夢見たにすぎないというから面白い。母親にちなんで字輩を「永綿奕載奉慈娯」に定めるなど、親孝行の限りをつくした乾隆帝。それに憧れ、至高の生活文化を満喫したい西太后は、涙と罵声の茶番劇で、恭親王をも倒して最高権力者の座についてしまう。同治帝死後は、清仏戦争をきっかけに重臣・清流派官僚をいっそうしてしまい、政権を完全に掌握する。そんな同治帝の生母西太后も東太后(咸豊帝の正妻)には頭が上がらない。結局、陵墓では負けてしまい、徴号で競う西太后。そんな西太后の政権が長続きできたのは、亡国の予感をもつ政治家達の明哲保身の姿勢、「東条英機効果」にある という。実際、2度も政界から引退しているのも面白い。

● 義和団事件でカリスマと化した西太后

海軍軍艦購入経費の流用で悪名高い、頤和園の造営もただの贅沢ではない。李鴻章の力をそいで、銀を国外流出を減らして、防衛予算を削って主戦派をおさえる効果があったという。頤和園で観劇にあけくれる、引退した西太后。反日愛国運動の起源、日清戦争の敗北をへて、発動された戊戌変法。その運動は、西太后の崇慶太后になる夢を潰えさせるものと気づいて、光緒帝一派を打倒。義和団事変でも、逃亡先の西安で、カリスマぶりを見せつけるような威信消費を続ける西太后。その賭けにみごとに勝って、西洋列強から中国「間接統治」のための「ストロング・ウーマン」(現地人酋長)に認定され、どうどうの北京凱旋。洋人駆逐の義和団から3年もたたないうちに、西洋人女性と一緒に写真に納まってる姿は、とてもかわいい。今も西太后の贅沢文化は、庶民文化に入りこんでいるという。


南方出生説、エホナラの呪い、『景善日記』、みんなウソ。意外や、「乾隆帝が東西文化の精を集めて作った」が「英仏連合軍に破壊された」と、現代の中国人が誇りと悔しさを交えて語る、かの円明園。それほどのものでもないらしい。暗愚と言われてる道光帝は、「太子密建」の時の逸話といい、盲腸のような重臣を息子に罷免させるためわざと残していたり、かなり辛辣な皮肉屋ぶりを発揮していて面白い。ステイタス・シンボルである葬式や墓で、様々な細工を施した咸豊帝の小物さ。后妃の格下げもままならない皇帝。反体制派をあぶりだすための、主流派が黙認して泳がせる様子など、中国の権力闘争の描写もなかなか。ジェンナーの牛痘接種法は、もともと中国の人痘接種法の改良であるらしい。同治帝の宮廷医師団は、牛痘接種法を学ぼうとはせず、同治帝を死なせたというのも、へ~という感じ。とにかく面白いのですな。

強いて疑問点をあげておきますと。

この書では、西太后が具体的に政治過程にタッチして決断する姿は、巧妙に回避されています。まあ、所詮は大物漢人官僚のイエス・ウーマン。バランスの上に立っていた彼女像を描いちゃうと、「最高権力者西太后」イメージがガタガタになってしまいますから、仕方ないのかもしれませんが、ちょっぴりいただけないです。また「中国民間は、儒教原理で長子相続」って何のレベルで言ってるのか、まったく不明です。一応、古代中国から財産相続に関しては、「均分相続」でしょう、かの国は。

また西太后は、義和団の大衆狂乱を利用した恐怖政治の発明者、って言われても困ってしまう。太平天国とかは十分、「大衆狂乱の恐怖政治」だと思うが…これって大衆と利用の定義がされてないから来るんですよね。そもそもこんな質問して恐縮ですが、「大衆」って出現していたんですか? 普通、大衆は「市民社会」と対にして使う言葉じゃなかったっけ? あと、やたらウェーバーを引用したがるのも…。マックス・ウェーバーの支配三類型の当てはめも、いささか度が越しているのでは? 「カリスマ→伝統的→合法的」の順を前後をちょっぴり入れ替えて、西太后体制の変遷を印象付けさせようとするのは、ヘタな小細工を弄している感じがするので、正直止めたほうがよかったとおもうけど。

とはいえ、そんなのは、流麗な文章を前にしては些細なものにすぎない。
現代中国のプロトタイプを描ききった本書。
自信をもって皆さんにお勧めできる一冊です。
ぜひ、ごらんください。


評価 ★★★★
価格: ¥840 (税込)

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Last updated  Nov 30, 2005 02:20:13 PM
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