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書評日記  パペッティア通信

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Nov 7, 2005
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カテゴリ:音楽・文化



素晴らしい!
これほどの知的興奮をもたらす新書は、なかなかお目にかかれません。

あまりにも細分化が進んでしまった人文・社会科学。音楽史も、その例外ではありません。立ちふさがる分厚い専門書の壁。ピアノを弾いていて、バッハ以前の時代に、ちょっと興味をもった学生。歴史に興味をもった一般クラシックファン。美術鑑賞が好きで、そのためにも音楽史をちょっと知っておきたい人。そんな人でも軽い気持ちで読める『通史』は、今音楽史の周辺ではまったくないという。

そこで、筆者は蛮勇をふるって、西洋音楽史の『通史』を書く……だけではないのが、この本の素晴らしさ。

その音楽が、なぜそこに存在しているのか、それを知ってもらいたい。
音楽の源流まで訪ねながらも、「ヨーロッパ観光ガイド」にも耐えうる、
そんな新書を書きたい…… 

その意図は、本書の隅々まで行き届いていて、成功をおさめています。ちょっと、こちらが言葉を失ってしまうくらい凄い。ただちに、本屋でお求めいただいて、この感動を味わってもらいたいほどです。これを読まずして何を読む! 

簡単に紹介しておきましょう。
いや、簡潔な紹介ができるか、すこし自信がありませんが…。


● 西洋芸術音楽とは、知的エリート(僧職・貴族)に支えられた、
  主に伊・仏・独を中心とした「紙に書かれ設計される」音楽文化のことである


ラテン語・単旋律のグレゴリオ聖歌にはじまる、西洋音楽。フランスを中心とした、3拍子音楽(3位一体?)。9世紀頃になって、聖歌に付随するオルガヌムという旋律が登場して、あの「垂直」構造が生まれ、12世紀になって音の長さ=音価が表記できる記譜システムがあらわれる。聖歌は、お経と同じ。自然と節回しが生まれるもの。それなのに音の長さをなぜ指定するのか。そこに「言葉」から「音楽」が独立してゆく過程があらわれているという。そんな中世音楽は、そもそも聴かれることを必要としていない。音楽は数学、数的秩序、世界の超越的秩序の表れという考えは、西洋音楽史の底流にあるという。14世紀には、「祈りの音楽」から「楽しむための音楽」が登場し始め、2拍子の登場程度で大騒ぎするのが面白い。


● イタリア音楽が覇権をにぎる、ルネサンス、バロック音楽
● イタリア・フランスの「王侯生活を彩る祝典のための音楽」と対照的な、
  ドイツ・バッハの宗教音楽


楽しむための美しい旋律、ルネサンス音楽。それは、フランドルからイタリアへと受け継がれ、世俗曲から旋律を借用して宗教曲が作られ、モンテヴェルディ、パレストリーナといった「作曲家」をうむ。名もない「職人」に止まらない「芸術家」としての自意識の出現。そんな音楽文化は、商人の国、オペラの発祥地でもある、ヨーロッパの「音楽の都」ヴェネツィアで爛熟する。ルネサンス音楽とバロック音楽の分水嶺は、1600年頃。「和音」・「不協和音」の発見と、不協和音のもつ表現力を使った作曲技法の登場こそ、そのメルクマールだという。バロック音楽は、三和音、長調・短調の区別、拍子感をもち、我々にもなじみが深い。その音楽は、大きな秩序=「通奏低音」と、音色・音量・楽想で対照的なものを「協奏(競争)」させる「対照から生じるダイナミズム」を特徴とする。その結晶は、喜怒哀楽の情動表現をフルにつかう、オペラ芸術。同じ歌詞・旋律をみんなで歌うルネサンス期までのスタイルから、たった一人の主役が伴奏楽器を従える「通奏低音と旋律」のスタイルへの転換は、絶対王政の成立とパラレルでもあるらしい。

「時代遅れ」なバッハは、なぜバロックの集大成、大作曲家とされたのか。「途方もなく書けて」「演奏して面白い」バッハ評価こそ、この本のキモ。この部分、必読でしょう。


● 「万人に開かれた音楽」古典派の出現
● 「音楽への愛」で結ばれる、公衆と作曲家の公共空間を支えた、
  楽譜出版と、交響曲をメイン・レパートリーにすえる公開演奏会の出現


対位法と通奏低音が消え、旋律のみになった古典派。古典派では、バロック的な交替・対照に止まらない、ソナタ形式――――2つの対立が、「対話(展開)」をへて、やがて「和解(再現部)」に至る>――――が出現して主流になる。そんな古典派の音楽とは、交響曲と弦楽四重奏に見られるように、「公的なものと私的なもの」の絶妙な均衡、「晴れがましさ」と「親しさ」の調和にあるという。喜劇オペラを華々しい活動の場にして、数十ものキャラクターにまったく違う主題音楽をつけて、きちんと描きわけながらも「形式」を瓦解させない。それどころか、それらの主題を終幕において、自然に統合させてしまう、天才、モーツアルト。それに対して、意思と形式、「横溢する生」と自己規律の完璧な調和の下で、「言うべきことはすべて言いきった」充実感とともに、「万人に開かれた(集団へ熱狂的に没入する次元まで切り開いた)」「限りなき昂揚」の音楽を世に送りだした、ベートーヴェン。なぜベートーヴェンの音楽が、近代市民社会であれほど崇敬され、日本にまで影響を及ぼしたのか。19世紀初頭、近代市民社会における労働の成立と、ベートーヴェンの主題労作の技法の同時代性に注目する、テオドール・アドルノを援用する筆者。 「ベートーヴェン=勤労の美徳の<音の記念碑>」というイメージは、クラシックになじみのない人間には、たいへん斬新な観点ではないか。

(長くなったので、分割。明日の次号を応援してください)

評価 ★★★★☆
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Last updated  Nov 30, 2005 02:20:41 PM
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