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書評日記  パペッティア通信

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Nov 25, 2005
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さわりをまとめてみよう。

恋愛資本主義社会では「見えない存在」であり「無価値」であった「萌える男」オタクたち。萌える男は自分のために消費する存在だからである。それが、『冬のソナタ』に代表される「純愛ブーム」を媒介にして、昨今、にわかに注目されるようになり始めた。莫大なオタク系市場の存在が明らかになってきたからである。既得権益をもつ恋愛資本主義はどうやっても排除できないので、これらの取り込みをはかった。「電車男ブーム」は、恋愛資本主義のルールを「オタク」に注入するための、恋愛資本主義システムの仕掛けなのだ…



参ったね。
とうとう、こんな本が出ちまった。語るのが辛い本だ。

立場を明かさないのはフェアではないので、あらかじめ書いておくのが礼儀かもしれない。小生は、「萌え」概念がこの世に現れる前、「腐女子な男」(要するに「やおいO.K.」の少女漫画ファン)にトラバーユしてしまった。その経緯があるので、今では「萌える男」でも「萌えない男」でもない、なかなか微妙な立ち位置にいる。とはいえ、それ以前は、彼らとは『「萌え」のプロトタイプ』のような概念を共有していたはずなのだ。その小生からして、実に読むのが辛い。


もっとも、グチばっかり垂れていても仕方がない。
批判はさておいて、内容を要約しておきましょう。

● 「萌え」は脳内で生き延びた純愛主義の末裔である
● 恋愛では美男美女でなければ結婚できない


大正期輸入された西欧の恋愛は、もともと貴族階級の女性を神のように崇拝するものであって、「萌えの起源」とされる。「個人の自我の安定」と「家族の形成と維持」を保証する機能が、キリスト教「神の死」によって果たせなくなったとき、かわりに「恋愛における恋人」が<絶対者>の位置につく。ゲーテ、ダンテ、宮沢賢治は「萌え」の先駆者らしい。また「萌え」とは、「女性」にも、「宗教」にも癒されない人の信仰であるとされる。

● 恋愛資本主義社会に背を向けた「オタク」「萌える男」
● 「萌え」とは、想像力によって作られた「脳内恋愛」である


1970年代、社会革命に絶望した若者が、逃げこむ先であったパーソナルな関係、「恋愛」。それは、1980年代バブル期の時代、資本主義にとりこまれ、「商品化された恋愛」に変容する。「恋愛ゲーム」のルールに基づいて、恋愛偏差値を競いあう「恋愛資本主義社会」においては「恋愛=セックス」の結合も同時に崩壊してしまう。その結果、セックスも商品化として「ライト風俗」「援助交際」「やらハタ」などの風潮を生む一方、「恋愛できる人」「できない人」の2極分化が進み、恋愛資本主義ピラミッド<モテる男←女←モテない男>(矢印は金の流れ)の、いわゆる「搾取の構造」が生まれてしまう。「萌える」「萌えない」の2極分化もすすみ、「恋愛できない」人特有の犯罪、「ストーカー犯罪」が「萌え」と結び付けられ気味悪がられる。その一方、狩猟社会だった影響なのか、極端な「萌えない」人特有の輪姦などの重大犯罪を甘く見逃す発言がたえない。

● 萌える男は、メイド服・猫耳・しっぽなどの記号に萌えるのではない

眼鏡っ子萌えのどこが、高望みか。そう語る筆者は、オタクが女性に高望みしていないことを強調する。女性こそ男性に高望みしているのだ、と。エヴァンゲリオンは、SF・ロボット・萌えキャラというサブカルの集大成であったものの、それがゆえにオタク全否定をおこなったことは、大きな傷痕をのこすことになった。サブカルでは、忍者からSF(超能力からロボット)へ行くものの、アニメ機動戦士ガンダムでさえ、恋愛に回帰してしまった歴史をもっていた。恋愛至上主義では、レゾンデートルもトラウマも癒せることになっているので、恋愛できない人は癒されることがなく、悩むほかはない。そうした中で、萌えゲーム「ONE」「KANON」「痕」では「恋愛によるレゾンデートルの再生」「トラウマの自己治癒」がおこなわれ、ルサンチマンを昇華して鬼畜化を回避する機能が果たされているという。

● 萌えは恋愛や家族を復興させようとする精神運動である

『恋愛→結婚→家族』の一連の流れが、「恋愛の商品化」によって、功利主義になり、各所でその流れが寸断されている。恋愛資本主義は、「生涯恋愛」を必要としているころも大きい。壊れていく家族。これをラジカルに治癒するには、一連の「妹萌え」「家族萌え」こそ参照されるべきである。恋愛できないことで自分を責め、救われないことを避けよう。萌えとは、現実逃避ではない。社会へ「萌え」を逆転送して社会をかえてゆかねばならない。家族で「脳内恋愛」=萌えあうのは本来、家族のあり方ではなかったのか…。2次元と3次元を使い分けよう。自己幻想の時代が到来するのだ。精神世界で自己救済をおこなってもいい、そんな社会にしなければならない。

(まとめ終了)



小生、とんとゲームには疎い。おまけに「萌え」がさっぱり分らない。「『マリ見て』は妹萌え」「萌えは男性性からの解放を目指す(本当か?)」「岡田システム」など、教えられることも多かった。「派遣メイドさんサービス」なるものがあることも初耳である。

しかし、これはひどすぎやしないか?
ネタじゃないのか?本気なのか?
と確認させられたくなる代物であろう。


そもそも、東浩紀『動物化するポストモダン』を執拗に批判しているものの、自己幻想で充足してしまえば「コジェーヴ=東」の定義では「動物化」ではなかったか。唯脳論にしても、所詮は「女はない」などの先行理論を気をきかせて敷衍した考えにすぎまい。そもそも礼賛・批判する前提、相手の本を読んでいるのか、疑問に感じてしまう。

また、「オタク資本主義」に包摂されているご自身が、「恋愛資本主義」に「萌え」が汚染されることに警鐘をならしても、まったく説得力があるまい。恋愛資本主義に背をむけたのが「萌え」。それならば、拒否すればいい話ではないか。もっとも恐ろしいことは、「萌え」が汚染されることではない。『恋愛資本主義の仕掛け』た「電車男ブーム」が、実は「オタクたちを対象としていない」こと。「オタクたちの存在を消費するために、恋愛資本主義システムの住人たちに仕掛けられたのかもしれない」ことにあるのではないか?。 社会の珍獣としてのオタク消費もまた資本主義。その冷酷な可能性が、ブームに浮かれたのか忘れさられていることは、「萌える男」論を説得力のないものに感じさせる一因になっている。

さらに訳が分らないのが、「萌え」=「恋愛・家族の復興」だろう。
いったい、脳内恋愛ではない「恋愛」がこの世のどこにあったのかはさておくとしても、その前段階恋愛できず結婚できない「萌える男」は、どうやって社会に逆転送して、「家族を復興」することが可能なのか。「脳内恋愛」=萌えである限り、それは恋愛ではない。「脳内恋愛」=「萌え」者同士が「結婚」「家族」を作ったとしよう。もはやそれは、「三次元の世界」であって「萌え」ではあるまい。そもそも幼少期、家族関係に問題をかかえていた筆者に、「家族に萌えよう!」などと言われても困る。あまり言いたくはないけれど、家族に萌えられなかったから、あなたの家に問題が起きていたのではないのか?


なによりも許せないのは、「乙女回路」もさることながら

萌えない男とは、セックスしたいのでとりあえずくどく。
萌える男とは、非暴力主義、男女平等主義、純愛主義で、正しい。
萌える男は、想像で充足して他人を傷つけない進化した存在である



分りやすく書けば、こうなってしまう図式だろう。
いくらなんでもあんまりだ。

だいたい萌える男が、いつ宮沢賢治「よだかの星」の心境になったのだ(笑)。永野のりこ『GOD SAVE THEすげこまくん』こそ、かつての「オタク」のバイブルであったことを忘れてはなるまい。 「妹萌え」にしても「家族萌え」にしても、要は心の中の「M1号ロボ」を彫琢する行為ではなかったか? M1号は、「心」の中にとどめずに、「現実」化させたとき、大切な何かを失ってしまう。2次元の脳内恋愛をそのままストレートに反映させても、完璧なる「M1号」にしかならない。「完璧なM1号」と松沢先生との距離は、永遠に消滅しない。その悲喜劇は、「萌え」と「恋愛」との距離と、完全に相似形になっていることにこそ、筆者は注意を向けなければならなかったのではないか? 男性が恋愛対象にもとめるのは、「妹萌え」「家族萌え」「M1号」から、「ペット」「恋人」にいたるまで、「物」なのである。現実化したとき、M1号と違って他の「三次元」が安定するのは、「もうひとつの幻想」が男性に向けて放たれ、支えられるからにすぎまい。オタク男が嫌われるのは、女性への「物」化の欲望が、あまりにもダイレクトの形で示されてしまうからではないのか。

男性の恋愛とは女性を「物」に貶め、
女性の恋愛とは男性を「皇子」にかえる

という。「萌える男」も「萌えない男」も、実践に移すかぎりにおいて、同じ線上に位置しない訳にはいかない。違いは、おそらく実践の有無なのだ。それが忘れ去られている点で、辛い点数をつけた。ご容赦いただきたい。

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Last updated  Jan 1, 2006 11:06:56 PM
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