安岡 正篤の一日一言 2月29日 節義
「為さざるあるなり、而して後、以て為すあるべし」
(「孟子」離婁章句下)
世の中がどうなっておろうが自分はこういうことはしないんだというのが、
「為さざるあるなり」である。
これは理性と意志の力によって初めてできる。
つまり、だらしのない人間の欲望や興味にまかせる生活に
一つの締めくくりを与える、節をつけることである。
それで初めて人間に「道」というものが立つ、
これを義という。
これを結んで「節義」と言います。
六中観 [正篤 ]
忙中 閑有り。 苦中 楽有り。
死中 活有り。 壺中 天有り。
意中 人有り。 腹中 書有り。
甲寅正月 無以会同人 敬しんで呈す
亀井老契 座右
「私は平生窃(ひそ)かに此の観をなして、
如何なる場合も決して絶望したり、 仕事に負けたり、屈託したり、
精神的空虚に陥らないように心がけている。」と。
安岡 正篤(やすおか まさひろ)
1898年(明治31年)2月13日-1983年(昭和58年)12月13日)
陽明学者・思想家。
安岡には政界だけでなく、財界にも多くの心酔者がおり、
三菱グループ・近鉄グループ・住友グループ・東京電力など
多くの財界人をも指南していたとされる。
終戦時、昭和天皇自身によるラジオ放送の終戦の詔書発表(玉音放送)に加筆し
原稿を完成させたことから皇室からも厚い信頼を受けていた。
数々の伝説を残し、政界・財界・皇室までもが安岡を頼りにしていたことから
「昭和最大の黒幕」と評される。