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明治37年(1904年) 1月21日 横浜山下町の帰化米国人 小林米阿宅で、一組の結婚式が挙げられた。参列者は米国総領事 E・ C ベローズ 新婦の母・ 姉 横浜在住の病院長ロビー博士等である。『日本国現行法ニ依リ婚姻式ヲ執行スル権限ヲ有スル宣教師 ユーシン・S・ブース牧師』が式を取り仕切った。
新郎は 米国紐育市出身横浜山下町在住 ジョージ・デニソン・モルガン33歳 新婦は 日本京都出身横浜在住 加藤ユキ23歳 ベロース総領事発行の和文・洋文の婚姻証明書が残っている。J・Dモルガンは、モルガン財閥創立者 J・Pモルガンの二歳年下 サラ・スペンサーの息子 大モルガンとは 伯父 甥の関係になる。 加藤ユキの父平助は、寺町六角下がるで 刀剣商を営んでいたが明治初年の帯刀禁止令のあと零落した。雪は胡弓の名手として芸妓として祇園町から世に出てモルガンとの縁が出来た。 モルガンとユキとの出会いや 結婚に至る事実関係は、巷間伝わる 落籍料四万円 愛人川上某の件 すべてが信憑性に欠けるものである。先ごろ京都新聞の連載 牧野省三伝 (高野澄氏著) にも 牧野が小屋掛け芝居用にストーリーを作ったのではという記載があった。 当時の関係者は、本人も含めて何も語らず全て世を去った。 四万円の落籍料が事実無根だとしても 一銭の金銭の授受無くユキがモルガンに嫁いだとも考えにくい 今となっては何一つ事実を確かめる手段や書き物も残っていない。当時の新聞や小説・芝居などで作られたストーリーが事実のように定着したようだ。 後年 越路吹雪主演のミュージカル モルガンお雪を見た ユキ本人が『みな 作り事や』と養女ナミエさんに言ったそうだ。 戸籍原簿は、おそらく法の下 正式に国際結婚をした最初のケース 又 モルガン家へ嫁いだという話題性も有って永久保存されている。1月20日は、モルガン家へ嫁いだユキに因んで 玉の輿の日と言うのだそうだ 輿に乗ることは生涯を安逸に暮らせる保障ではない、数奇な運命に翻弄される端緒である。モルガン・ユキ のその後については 又書く機会があるかも知れない。 柳居子 故あって モルガン・ユキ本人に 生前何度か会った事がある。
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Last updated
2007.01.20 06:04:51
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