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阿川弘之氏が、先月九月号で『ではさやうなら、』とペンを置かれて後、いつも文春を読む仲間内では、巻頭の随筆を誰が後を引き継ぐのかが話題に上がる、田中美知太郎さん 林 健太郎さん 司馬遼太郎さんと歴代の名前を反芻してさてとなると、塩野七生さんが前に廻るのか 半藤さんは元編集長だから身内からは出しづらいか 皆が誰それと思い浮かばぬものだ。 思想信条に余り偏りが有っても文春読者には受け入れられないし 履歴を詳しく披露しなければという人も駄目 広汎該博な智恵知識を持ち、其れを判りやすく誰にでも理解できる文にする技量が求められる。誰にでも判る平易な文で内容を込めるというのは至難の技 権威権力の側の人も頂けない 何人か挙げた人が消去法で全員が消えた.尤も柳居子が候補に上げた人は柳居子の目線でしか捉えられない人だから知れた事。世間は広い この随筆欄に心を寄せる人は全て同じ思いをされている筈。 さて 阿川老が降りて 取りあえずか一回限りとは思うのだが、出てきた名前に驚いた、寛仁親王 父王の名代で訪れたトルコ アナトリア考古学研究所の事を書いておられる。皇族を使うという手が有ったのかと脱帽 宮内庁も文春を上手に使って国民にダイレクトに情報を流しておられると思う事がある。寛仁さんには誰が出稿を頼みに行ったのだろう 文春は準皇族のような社員をこのような時に使えるよう抱えているのかも知れない。 柳居子花徒然 山ボクチ
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Last updated
2010.09.18 06:44:11
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