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富士の高嶺に降る雪も 京都先斗町に降る雪も 雪に変わりはないじゃなし とけて流れ りゃ皆同じ 京都の先斗町を唄った五十年ほど前の流行り歌『お座敷小唄』唄い出しのフレーズだが、この歌の流行った時代の、この町をよく知る柳居子にとっては、全く別の場所のような印象を昨晩持った。 本当に久しぶりに花街だと思っていた先斗町三条・四条間を歩いた。進駐軍に接収された歌舞練場北側の中華料理屋『賓保楼』のあった時代まで遡らなくても 昭和四十年代 五十年代でも今に比べるともっと薄暗い通りだった。薄暗いというのは、花街の絶対必要条件ロケーションだと柳居子は思う。何処の館から誰が出て来ようと入ろうと其れはその人の甲斐性・私事と見て見ぬフリ、知っていて知らぬフリをする 今のように携帯で写した画像が瞬時に広まるという事など考えも及ばなかった時代 雰囲気が有った。 芸舞妓は皆口が堅いから 客も同列の遊客の消息を聞くと云う様な野暮はしない。『よう 知らへんのどっせー』という返事の返ってくるのが判っているからである。 宍戸のご隠居とよく出会った珈琲屋の『叶』長谷川の惇ちゃんも洛西 車折神社近くへ移って随分時が流れた。置屋『大市』の店は立派に残っているが、前のバー『松とみ』は早くに廃業した 幸之助翁の松を一字頂いたとか話していた。 何よりも 一体この明るさは何事か 前から来る人の背丈・体格・顔付き・国籍まで直ぐに識別する事が出来る。少しで自分の店が目立つようにと照らす照明やネオンサイン。料金表を店頭に大きく書き出す。其のボードを照らす照明のけたたましい明るさ 花街ではなく今風の繁華街 料金表の横には客引き店内への呼び込みが常態化している。昔は料理屋と言えども料金表を表にデカデカと掲げる店など一軒も無かった。 夕べは川本さんと藤野さんと柳居子の三人寄っての会食 川本さんにご馳走になった。彼が五十年ほど前の学生時代から親戚によく連れて行って貰ったという『開陽亭』で今年初めての入洛で喋りこんだ。余りの明るさの先斗町を抜けて歌舞練場の塀の飾り煉瓦を指し示し 『これは昔の侭や』等と言いながら柳居子の最近お勧めバー『K-家』ここは暗い 薄く暗い、何時に無く遅くまで話し込んだ。沢山話したし聞いたのだが、一晩寝たら殆ど忘れた。他の二人も多分同じだろう。 http://r.tabelog.com/kyoto/A2602/A260202/26018349/dtlphotolst/4/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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