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本サイトでは 何度かハンセン氏病・レブラ・ライ病を取り上げた事が有る。ブログのプリント版を欠かさず読んで頂いている 毎朝珈琲屋の右に座る人が、『 柳居子君 ライ病に興味が有るのなら、一度一緒に出掛けようと思っている所が有る。』言われ 『何処か知らぬがご一緒します』と答えて、昨日一日 静岡県御殿場にあるライ病療養所・病院を見学に出かけた。新幹線三島で在来線で沼津まで戻り御殿場線に乗り換え、小さな駅がタクシーに乗って神山という所にある 二つの療養所・病院を訪ねた。
最初に訪ねた療養所・病院は。日本最古 明治19年 パリ外国宣教会のジェルマン・レジェ・テストヴィード神父が、宣教で 一人のライ病患者との出会いから 社会から隔絶された同病の人の救済を思い立ち 御殿場の鮎沢村に家を借りて患者6人を収容したのが始まりとされている。 大凡日本の救ライ施設はキリスト教系の神父や関係者が始めたのが多い様だ。神山復生病院を訪れたのはお昼少し前 事前のアポなしで突然の訪問にも関わらず快く招じ入れて 日曜日の閉館日にも関わらず敷地内の一番古い建物『復生記念館』を具に説明を加えて拝見する事が出来た。 ライ病は過って世界中に有った宿痾(しゅくあ)感染病だが感染力は弱く、余程濃密な接触が無いと感染しないのだが母親から子供へというケースも多かったから遺伝の様に考えられた時代も有った様だ。ノルウェーの医師ハンセンが原因が細菌と突き止めた事からハンセン氏病の名を普遍的に使う様だ。訪問記は一日では書き尽くせないので折々本サイトに載せるが 復生記念館に展示の一人の夫人の事が印象深く残ったので記す。 今年はNHK大河ドラマの影響も有って 山本八重(にいじま)ブームで、同志社大学の年とも言えそうだが、昭和50年当時の同志社総長 住谷悦治氏の名で、もう一人の會津の井深八重に名誉学位号が送られている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.10.21 09:45:01
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