ルドルフ・ジョセフ・ローレンツ・シュタイナー
「神秘学」解析「キリスト存在について」-9 運動霊あるいはデュナミスの行為のことがらのすべてはさらに次のような結果をもたらしました。月の進化が地球の進化へと移行したとき、その過程全体がある意味で繰り返されました。月進化の潮流のただ中に自らを投げ入れた「あの存在たち」は、それと関わりを持とうとしない存在たちに遅れを取ることになりました。また「別の存在たち」はさらに遅れをとることになったのですが、それは彼らが退行する進化に魅了されたからです。 ですから、これらのことが起こった結果、地球進化の間、二種類の天使人間が存在することになりました。先行していた天使人間たちと、後に取り残された天使人間たちです。先行する天使人間たちはレムリア期になると人間への働きかけを開始したのですが、それは人類が人間自我の種子を受け取ることができるまでに成熟していたからです。彼らは人類にいわば選択肢を提示したのですが、それは、月の発達段階以来、宇宙進化の過程に紛れ込んでいたものとはもはや関わりを持たず、精神的な世界に直ちに上昇するというものでした。私たちがルシファー的な存在と呼ぶところの彼らは自我にまで至ることはできませんでした。後に取り残されていた存在たちは人間のアストラル体への働きかけを開始するとともに、「天上の戦い」の結果をアストラル体の中に注入しました。運動霊たちが反抗命令を受けて「天上の戦い」に参加し、「障害の神」となったことから、その行為の結果が人間のアストラル体の中に侵入したのですが、そこではそれは別のより重要な意義を持つことになりました。と申しますのも、そこでの結果は、過ちと悪の可能性に相当しているからです。こうして人間は間違いを犯す可能性と悪の可能性を与えられたのですが、同時に、自分の力で間違いと悪を乗り越えて上昇する能力をも受け取ったのです。 第二ヒエラルキアに属する運動霊あるいはデュナミスのような存在にとっては自ら悪となる可能性は全くなかった。彼らは反逆するように命令されたのだということを考えてみてください。第三ヒエラルキアに属する存在、つまり、人間に最も近い天使だけが、妨害的な運動霊につき従うことも、あるいはつき従わないこともできたのです。屈服しなかったものたちは天上で戦い取られた勝利を描く絵の中に表現されています。それらは人間がアストラル体への受肉、つまり動物人間の段階にまで進んでいた月の進化段階の間に生じることになったものを表現していると考えられます。純粋なままに留まった天使存在たちは、謂わば月進化の過程から自らを引き離し、下方の月上で起こっていることを免れたのです。この図は様々な形で私たちの魂の前に提示されます。それはまずミカエルと龍の相互間の戦いとして表現されているのが見い出されますが、ミトラ教の雄牛の図の中にも非常に明白に表現されているのが分かります。けれども、それらは、これらの天使存在たちは自らの義務を放棄したということを言うために表現されたのではありません。それらによって意図されていたのは、未来のための理想を描くということです。そこで言われていたのは次のようなことです。「これらの存在たちはむしろ精神的な世界に上昇することを好んだが、お前たちは「妨害的な力たち」に従った別の存在たちと共に下降した。今、お前たちが取り入れたものに働きかけ、それを精神的な世界へと運び上げるかどうかはお前たちにかかっている。上方に向かう道上で、お前たちはミカエルや雄牛の征服者になるように求められる。」この種の象徴はこのような二重の意味で説明されなければなりません。ですから、お分かりのように、人類が自分自身の力でその目的を達成する可能性を与えられたのは運動霊たちが反抗命令を受け取ったからに他なりません。それはセラフィームでさえ彼ら自身の努力によっては達成することができない何かです。最も重要なのはこの事実です。セラフィーム、ケルビーム、トローネたちには神によって彼らに与えられた直接的な衝動に従う以外のことはできません。主天使たち、実際には第二ヒエラルキア全体も同様です。ただ運動霊の位階に属するものの一部が反抗する命令を受けただけです。彼らが発展の道筋を横切るように身を投げ出したときにも、彼らには神の命令に従う以外のことはできなかったのです。「悪の源泉」とでも呼べるようなものを引き起こすときでさえ、彼らはただ神の意志を遂行したにすぎません。自らを悪の僕とすることによって、これらの運動霊たちは、悪という回り道によって、善を強化しようとした神の意志を達成したのです。哲学・思想ランキング