「直覚霊知」215瞑想実践の七十(秘学論理)
ゴータマ・シッダッタの其の仏教哲学を更に高めた龍樹(ナーガールジュナ)は、西洋社会では虚無主義と解されているきらいも無きにしも非ずですが、布教的に便宜として印度古宗教に掲げられた「神」的存在を受け入れた形を持つ正覚者釈尊である仏陀を崇めて、限りある生命を持つものとしての「神」、言い換えると「神的存在」と呼称されても、別段に不都合のない存在だけは認めています。しかし、その教唆するところは「神」などは人間が創作したものでしかなく、不朽不滅のものでないことを強調します。此の考えを高次に高めて彼独自の「空観」を唱えます。しかし、此の空観における「空」こそが、絶対不変的であり絶対的普遍的存在、人間の有無の認識を超えた存在であり、其のものを意識することをさえ不可能とあるとしています。其処に隠された真理は「真実存在する神」は人格・神格どころか一切の自意識など不要の完全体であり、其のものの全てが絶対性を持ち、俗に言われる様な、更には人間が問えるような認識・自覚・精神・意思を持ち合わせてはいないと論理的に説き、不朽不滅をさえ離れた存在を「縁起」として表現、スピノザ的には「自己意識さえ持ち合わせる必要のない神」を連想させる教えで締め括ります。