ちびです。
ちびは昨晩遅く仙台から無事に生きて帰ってきました。
仙台で仕事を終えて、東京に帰る新幹線に乗るためにレンタカーで駅に
向かう途中で地震に遭いました。
車の中で信号待ちをしているときにドンという衝撃の後、揺れ始めました。
2日前にも地震があったばかりで、その余震か?と思ったらどんどん揺れがひど
くなり、目の前のビルが大きく揺れ出したときには道が波を打ち始め
飛び出してきた人もまともに立ってられない状況になりました。
ビルが大きく揺れて窓ガラスが割れて飛び散り、周囲から悲鳴があがり
ちびもいつの間にかドアにしがみつくくらい、身体を揺さぶる大きな縦揺れでし
た。
長い長い時間
青ざめて,手に汗をかいている、命の危険を感じた。
いつもなら携帯やカメラで動画でもとるはずなのですが、命の危険を感じている
ときにその余裕はまったくありませんでした。
揺れが収まって、駅に向かっていくと、至る所にビルから落花した壁や散乱した
ガラス...
とんでもないことになった...
そんな思いでボーぜんと駅まで行ってみました。
仙台駅は、すでに封鎖され、入ることすらできず、新幹線も含めて復旧のめどは
たちそうもなかった。
バス停と歩道は帰宅を急ぐ人たちでみるみるうちにあふれていきました。
町中が停電、信号も全て消え、譲り合って車と人が進んでいきます。
みんな家に帰る...
ここからどうしていいものやら、私と同僚は唖然ボー然
とりあえず、レンタカーを返すのを辞めて、会社の事務所へ
事務所の中は凄いことになっており、とてもそこに長居をしてもどうにもならな
いことがすぐにわかりました。
渋滞はどんどんひどくなり、意地悪なことに雪まで振り出しました。
町の中のコンビニも慌てて締めたところ、暗い中を電卓で計算しながら売る店
とにかく、みんな食料の確保と飲み物の確保で必死という状況です。
その間も震度5くらいの余震が続きます。
ガソリンスタンドが閉鎖、食料を手に入れないといかんなぁと思った時には
すでに遅し...
店はどこも閉まっていた。
道が大渋滞して1キロに1時間くらいかかる
私と同僚はなすすべもなく、高速道路へ向かう。
もし、高速が開いていたら、栃木まで向かおう、ガソリンは2/3ある。
しかし、高速目の前で「前線通行止め」の表示
万事休す
完全に日暮れ、この先一般道を走っても大渋滞でガス欠=凍死だ。
諦めて、目の前にあったルートインホテル長町へ飛び込む
真っ暗なホテルからカッパをきた女性が「ご予約のお客様ですか?」といって
飛び出してきた。
「予約はしていないのですが、高速が通行止めで移動ができないのです」と
いうと「通常の営業はしていませんが、避難所代わりにお泊まりください」と
言って部屋へ案内してくれた。
土地勘が無く、避難所さえわからない私たちにとって本当に本当に有り難い
ご厚意で、有り難く一晩お世話になることにした。
海が近いという理由なのか、7階の部屋まで真っ暗な外階段を上がる
部屋に入っても暗闇で、これからどうしていいのか不安な気持ちと寒さで
涙が浮かんできた。
電話はまったく通じない。
メールも混んでいるせいかほとんど届かないし、返信も来ない。
同僚が一緒じゃなかったらもっともっと心細かったと思う。
私たちは、所詮一日耐えてここから逃げ出せばいい、しかし家を無くした方々は
この寒さの中をどれだけ不安な思いで過ごされているのかと思うと息が詰まる思
いだった。
なすすべもなく、朝を待つあいだ、しんと静まりかえった部屋の窓から遠くを
眺めていた。
10時を過ぎた頃、遙か遠くの空がオレンジ色に染まり始めた。
気仙沼の方向だ!!!
そのとき、兄からメールが入った。
気仙沼が火の海になっていると..
とても仲良くしている気仙沼病院の方々が心配でならない。
どうか無事で居て欲しい。
祈る思いで一晩を過ごした。
※気仙沼には、未だにまったく連絡がとれないでいる。
寒い寒い朝、お世話になったホテルの方にメモを残して
車で宇都宮へ向かった。
会社の同僚が宇都宮で待機中途連絡があった。
自分だけが逃げ出すようで申し訳ない気分でいっぱいだった。
朝、ガソリンスタンドにならぶ長蛇の列
でもいっこうに開かない
宇都宮までガソリンが持つことを祈りつつ、一般道を走った。
まだ、この時点で起きている被害の状況はまったく知らなかった....。
このたびの東北大震災に遭われた被災地のみなさま、まだ停電が続き
寒さもひどく、食事もままならない状況だと思います。
一刻も早く被災されたみなさまへ支援が届くことを心より祈っております。
そして、亡くなられたたくさんの方々のご冥福をお祈り致します。