祝!!野田新総理大臣
祝新首相野田佳彦さんが、日本の代表者となった。実は、ちびは、偶然にも野田さんの昔をよく知っている。野田さんが初めて臨んだ選挙は、25年前ある日、働いていた病院の院長に「明日から野田くんって人の手伝いにいってくれるかな?」...突然言われた まじっすか、院長私にいったい何ができる???と思いつつも、病院の仕事がつまらないと思う私には魅力的なお誘いだった。さっそく、翌日、津田沼の小さなオフィスビルへそこが野田さんの選挙事務所だった。確かぽつっと机があるくらいで、何もない事務所には、もう一人野田さんの早稲田時代同期の奥さんが...私と彼女は、選挙なんぞまったく知らず^^;毎日、彼女とおしゃべりしながら、楽しく仕事(?)をした。その頃のちびは、政治にも経済にもまったく興味がない小娘で今考えると、勿体ない状況だった。彼は松下政経塾をでて、志し高く、日本の政治を変えることに燃えていたと記憶している。彼は、毎日のように津田沼駅前で演説していた。 その時、津田沼駅前にはNOVAがあり、「駅前留学はNOVA,駅前演説はNODA」という,野田さんの迷言が生まれた野田さんは、松下政経塾1期生だった。選挙の時、最初は「大丈夫かな~」と思うくらいのんびりそしてスローペースでやっていた。いつだったか、ビールを買って飲もう!ということで、みんなのお財布を出し合ったところ、確か2-3本しか買えなかったことがあって、大笑い。その時のビールは美味しかった。きっと今では、どこにいくにもSP付気軽に自販機でビールを買ってみんなで飲むことは二度とないだろうなぁ。いよいよ選挙も近くなった頃、政経塾からの応援が徐々に入り始めた。通常、おっちゃんのようなベテランが仕切るはずの選対は、どえらく若い。20代前半の選対など、他の立候補者がみたら相当驚いただろう...名前を失念してしまったが、政経塾後輩で選対隊長だった彼はホントに賢かった。確か、静岡あたりの県議会で政治家になったと聞いている。選挙が佳境に入る頃、メディアへの露出を始めた。しかも、非常にテレビウケが良かったと記憶している。その頃の野田さんは、もうちょっとほっそりだったし...(笑) ズームイン朝を狙った、24時間マラソン演説。24時間テレビをパクったのか?これも政経塾卒業生が交代でお手伝い...津田沼駅前演説を24時間もやるって言えば、テレビ局もやってくる。その当時、当たり前に電柱に張まくっていた違法な選挙ポスター..野田さんは、高校生や大学生のボランティアに一軒一軒家を訪ねて張ってもらうように指示していた。子供がお願いしたら、おばあちゃんはイチコロだ。そして、他の候補者が電柱にポスターを張ることが違法だったと知れ渡り始めた。これもまたマーケティング戦略だったのか?野田さんの周りには、徐々にボランティアが集まり始めた。お金ではなく、彼を信じて集まった人達は、手弁当で毎日働いていた。すっかり忘れていたが、うちの院長は、まったく登場せず、事務所も手狭となり広いところへ移動そうして、初回選挙投票が始まった。新聞社の選挙予想では泡沫候補、奇しくも今回の総裁選と同じ状況のノーマーク(笑)どきどきの投票結果なんと、奇跡的なトップ当選まったく無名の野田さんと政経塾のマーケティング戦略だったのだと今なら思う。1期目の奇跡的当選の後、政治家の資産番付が出た野田さん、下から2番目...ど庶民である野田さんの弟が仕事を辞めて公設秘書になった。その当時まだあった平屋の木造ぼろぼろ貸し屋で兄弟二人で活動していた。実は弟さんは、自らをドジョウと表現するお兄さんと全く真逆の長身+とってもイケメン(笑)性格も笑顔も素敵~ 野田たけひこさん野田さんは、昔から自分がウケのいいルックスじゃないことを自覚していた。昨日の読売の記事にもこのようなコメントが寄せられていた。 同校卒業後に親しくなったというのは民間放送会社に勤務する川口哲生さん(53)。野田氏が県議選への立候補を考えていた頃、「女性にどうアピールしたらいいか」などと相談を受けた。「カタブツ」というイメージの野田氏に「自分を動物に例えてマスコットキャラクターを作ったら」とアドバイスしたという。あまり接点がなかったにもかかわらず、自分の弱点を補うために、昔の仲間をたどり意見を求めようという積極性に驚いたという。マスコットキャラクターは実現しなかったが「欠点と思っていたカタブツのイメージも、逆に実直、まじめという人物像でぶれずにやってきたことが支持されているのだと思う。人気よりも実力。首尾一貫した姿勢は、国政を託すのにふさわしい」と話している。(2011年8月28日 読売新聞)実は、この話、ウソじゃないけど一つ誤りがある。キャラクターは存在したのだ。私の友人の息子にボランティアで書いてもらったものだ。動物キャラがいいと野田さんが言うので、みんなで考えた。優しくて、ちょっと堅物...堅い..皮膚が硬いぞうさん(笑)というわけじゃないが、顔に似合わず(失礼)優しいくりくりした目がぞうさんのようだったから、「頑張れぞうさん」というキャッチもつけてぞうさんキャラができあがった。1期目、2期目の選挙ポスターに印刷された。野田さんの公式サイトにあるプロフィールこのページの左にある写真の中で「県選挙2期目ポスター」の左下に小さく丸く写っているのが、幻の頑張れぞうさんキャラである。 25年前、私と一緒に缶ビールを飲んでいた人が日本の総理大臣になるとは夢にも冗談にも思っていなかった。人の運命とは、本当に分からないものだと、生きてきた中で一番強く思った。しかし、何故か心から喜べない。震災、経済危機、原発...危機的な日本の状況外国からも「だれそれ?」って思われている。オバマみたいに華々しく受け入れられたわけでもないでも彼は、くじけないのではないかとも思う。熱血を表には出さない、典型的日本人おやじサラリーマンのような人だ。そして、ど庶民の彼は、ある意味失うものはない。彼は基盤/看板/かばん(資金)なしだった。今の地位は、自分で作り上げたものだ。しがらみはない、親子議員と違ってメンツや体裁をまもることもない。自分で作り上げた、基盤に地盤..二世議員のように親に迷惑がかかる心配もない。大臣になる前にもう一度会いたかった。管政権が終わったら、駅前演説に戻るから、会いに行こうと思っていたのに。もう一生会うことはかなわないなぁ...昔のままぶれずに、爆走してもらいたい。できれば、おもいっきりやってもらいたい。 野田さん、がんばれぞうさん、心から応援しています。