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このブログでは、昭和の初めから、私が見たり、聞いたり、体験したり、したことを、ほぼ年代順に書いています。今は、敗戦後しばらく経った
昭和24年(1949年)の初め、私の大学受験のころの話です。
このブログは、私の想い出日記ですが、同時に一庶民が体験し見てきた、日本国の移り変わりでもあります。
歳とった者には、もはや力はありませんが、国の盛衰、世の中の移り変わりは、充分に見てきました。過去を振り返りながら、資料を調べながら、さらに続けて行きたいと願っています。
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題 名 は 「チューさんの今昔ばなしと野菜ワールド」
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昭和23年(1948年)10月から翌年2月にかけて、私が大学受験勉強に没頭している間に、日本の政局が大きく変わりました。
当時の副首相・西尾末広が逮捕されて、芦田内閣が総辞職。民主自由党を結成した 吉田茂 が第二次吉田内閣を組織しましたが、少数与党のため国会解散。
昭和24年(1949年)1月に第24回衆議院議員総選挙が行なわれました。
吉田 茂(出典 Wikipedia)
このときの選挙から、私も20歳になって選挙権が与えられ、受験勉強の合間に投票しました。
選挙の結果は、民主自由党264・民主党69・社会党48・共産党35。民主自由党と共産党が大躍進。前回の選挙であれほどの票を取った社会党は惨敗、民主党も大きく転落しました。
第24回衆議院議員総選挙結果
当初は、民主自由党がこれほどの大勝をするとは思われていませんでした。しかし、汚職や内部抗争が続き、インフレも収められず、 GHQ(連合国軍総司令部)の言いなりになっている社会党と民主党の連立政権に、国民は愛想を尽かしたのです。
社会党に入っていた票の多くが共産党に流れ、社会党は、党首で前首相の片山哲が落選する始末。そして、大きく議席を減らした民主党は、一部が民主自由党に合流するなど、中間政党はすっかり力を失いました。
吉田首相の施政方針演説(出典 Wikipedia)
選挙勝利の結果を受けて、第三次吉田内閣 が発足。以後、昭和20年代の終わりまで、およそ6年間、吉田内閣 が政権を担当して、インフレを収束させ、朝鮮戦争を経験し、講和会議、独立復帰などを実現して、日本復興と再発展への基礎固めを行なってゆきます。
吉田茂 は、時として傲慢(ごうまん)な発言や態度を批判されましたが、イギリス大使など、長い外交官時代のうちに培った、イギリス・アメリカの政界上層部の人物とのつながりを持っていました。
それで、 GHQ との交渉でも、納得いかないときは、司令官・マッカーサーと直接談判して承諾を得るなどして、実力を示しました。また、のちに総理大臣となる池田勇人(いけだはやと)や佐藤栄作(さとうえいさく)などの人物を育て、世間では吉田学校と呼ばれました。