1614988 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

chusan55

chusan55

カレンダー

楽天カード

お気に入りブログ

看板猫こすけ(=^・^=) flamenco22さん

コメント新着

 hijimasako@ Re:敗戦後の学校・・・2学期始まる・・・菊池校長(02/04)  こんにちは。戦後のことをよく知ってい…
 たかさん@ Re[1]:黒部ダム完成・・・想い出は湖底に沈む(10/25) flamenco22さんへ 今はダムの底にある平…
 non@ Re:朝鮮戦争始まる・・・レッドパージ(05/23) それはマッカー”サー”ではなく、マッカー”…
 アイリッシュタイムズ@ Re:七人の侍・・・黒澤映画の最高傑作(07/27) この映画を名画座で年始に見て、コロナ禍…
 背番号のないエース0829@ Re:憧れのハワイ 「堂々と公演 !! ~ 沖縄県立八重山農林…

フリーページ

ニューストピックス

2011年05月06日
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類

昭和24年(1949年)3月、私は入学試験勉強最終の追い込みに入っていました。当時、エアコンなどはもちろん無く、暖房なしのまま、着られるものをいっぱい着込んで、机に向かっていました。

その前から、父は、私に 「そんなに勉強をしても、とても無理じゃ、店をやれ」 と言っていました。

 「そんなこと言うても、残った家など、家督相続でみんな兄のものになってるやないか」 というと、
 「いや、お前にやるつもりの店は、いずれ、お前に渡すように兄に言うてある」 との返事。

しかし、こちらは、目先に迫った入学試験で頭がいっぱい。
 「そんな話は、入試の決着がついてからにしてよ」と言って、勉強部屋にこもりました。

いよいよ大学入試の日が来ました。入試には時計が必需品ですが、当時は高価で貴重品。私は前日に、近くで薬局を経営している義兄に頼んで、腕時計を貸してもらいました。


         木造の五条大橋
      当時の五条大橋(木造、内蔵助氏の古写真アーカイブより許可を受けて転載)

時間の余裕を見て、家を出ました。五条大橋を渡り、市電の停留所に来てふと気が付くと、手にはめたはずの腕時計がありません。

 「しまった、忘れてきた ! 」 と、急いで家へとって返しましたが、家にもありません。
 「落としたか !」 と、最初に歩いたところを、下を見ながら急ぎました。

                      「あった !

五条大橋を渡り終わる一歩手前、南西の端の擬宝珠(ぎぼし)の柱の下に、腕時計は落ちていました。しかし、まあ、7~8分の間とはいえ、"よく人に拾われなかったものだ" と思いました。と同時に、  “僕には運が付いてる ! ”  と、一気に心が晴れました。

入試は2日間、大学構内の教室で受けました。志望学科の競争率は5.5倍。問題用紙の配布前にあたりを見ると、みな秀才そうな顔ばかり。このうちの5人に1人しか合格しないのか、と思うと 
 「どうなとなれ !」 という気がしました。

合格者発表の日、不安が8割、期待が2割でした。学部の玄関に貼り出された合格者名簿に眼をやると、
                      「あった !

私の受験番号と名前が、確かに書いてありました。あの答案でよくもまあ合格できたもんだ、と思いながら、幸運にほっとしました。

専門学校で同級のS君も、1年下のK君も、共に合格。農学科定員28名のうち、京都府立農林専門学校生が5人を占めました。

そのころは公衆電話がなく、すぐに専門学校へ行き、K教授ら先生方に結果を報告。K教授は、自分の使っていた英語の辞書をお祝いにくれました。それから帰宅して、に報告しました。

やっと、精神的重圧から解放され、勉強に使った各科目の参考書にも、一冊一冊に頭を下げました。

入試の勉強の指導をしてくれた専門学校同級のI君は、帰省中だったので、入学後に学内で会って礼を言いました。

  





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2011年05月06日 10時13分30秒
コメント(1) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.