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昭和34年(1959年)4月 には、日本中が祝賀ムードに包まれる慶事がありました。皇太子・明仁親王(あきひとしんのう・今上天皇) の結婚 です。皇太子妃 になったのは 正田美智子(しょうだ みちこ)さん( 現在の皇后)。 昭和33年(1958年)11月27日、宮内庁は、明仁親王と 正田美智子さん の婚約決定を発表しました。この日まで、宮内庁は、マスコミに対して、公表前に掲載しないよう強く要請したようです。 ひとつの週刊誌だけが 「皇太子妃に正田美智子さん」 との記事を載せましたが、みなは 「ほんとかな?」 と思っていました。 皇太子妃 は、のちに 皇后 となるので、以前は、皇族 か 摂関家(せっかんけ・藤原氏本流の五家) から選ばれる、と決まっていました。 正田家 は裕福な家庭で、父君・英三郎(ひでさぶろう)氏 は、大会社の社長。一族も優秀な人たちばかりですが、身分は 平民 で 皇族 でも 旧華族 でもありません。 明仁親王 に 正田美智子さん との結婚を強く助言したのは、皇太子の教育係を勤めた 小泉信三(こいずみしんぞう) だといわれます。 小泉信三 は戦前に慶応義塾大学の塾長についた経済学者。正田美智子さん との結婚を薦めたのは、新時代にふさわしい皇室にならなければ、との思いだったといわれます。 国民は、宮内庁の発表と、その後の 美智子さん の記者会見で、容姿の美しさ、聡明さを見て、喜びに包まれました。 婚約発表で記者会見される正田美智子さん 結婚の儀は、昭和34年(1959年)4月10日に行なわれました。その後の東京都内のパレードでは国民多数がご成婚を祝いました。 結婚の儀式での正装の両殿下 東宮御所での両殿下 私は、戦後間もなくのころ、偶然ながら京都御苑で、皇太子殿下・明仁親王 とお会いしています(2011年4月11日のブログ参照)。 そのとき、明仁親王 のお顔を見て、この方が天皇になられたら、日本はもっと明るい国になると思ったものです。ご成婚の写真を見て、その日が来たように感じました。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * そのころ、皇太子のご成婚のあと、 ”時期を見て、天皇(昭和天皇) が 明仁親王 に皇位を譲り、第二次世界大戦敗戦の責任をとって退位するだろう” とのうわさが世間に流れました。 しかし、昭和天皇の退位はありませんでした。 “昭和天皇は、自発的にことを決められる人ではないな” と私は思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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