|
カテゴリ:読書案内
【辺見庸/もの食う人びと】
![]() ◆食うことへの執念が生きる執念でもある 己が幸か不幸かは自分が決めることだが、他人様の幸か不幸かを決めるのはおこがましいことかもしれない。 とはいえ、自分を基準に考えた時、明らかに他人様をめぐる劣悪な環境を知った時、改めて己の幸せを感じる。 それはとても残酷なことではある。 生まれた瞬間から生じる不平等の始まりだ。 こればっかりはどうすることもできない。肌の色が白か黒か。男か女か。紛争地帯に生まれたか否か。自分では選択することのできない様々な問題に関して言えば、私はこの日本に生まれ、今は亡き両親の子として育てられたことを誇りに思うし、幸せだ。 家庭が貧しくても清潔であたたかな食事を普通に与えられた。 畑でもぎ取ったトウモロコシを、茹でただけのあの味は、甘く、瑞々しく、夏の夕飯のご馳走だった。 キーンと冷やしたトマトを輪切りにして、塩をふりかけただけのサラダ、あれも美味しかった。 我々の生きる根源でもある“食”は、所が変わればその事情も大きく変わる。 『もの食う人びと』は、ジャーナリストである辺見庸が命懸けで世界を巡り、“食”についての取材を記事にしたルポルタージュである。 衝撃的な記事はいくつもあるが、とりわけ凄まじい“食”に関する記事を紹介しておこう。 〔ミンダナオ島の食の悲劇〕は、戦時中、日本兵が現地人を殺害し、その人肉を食べたという記事である。 その場所には、野生の豚や鹿はもちろん、自生のサトイモなどがそこらじゅうに生えていたというのに、当時の日本兵はあえて現地人を数十人も食べて生きながらえていたのだ。 辺見庸の記事によると、<敗戦を知らず、あるいは信じようとしなかった者たちに生じた心の乱れ>から発した行為だったとのこと。つまり、正気の沙汰ではなかったのかもしれない。 〔バナナ畑に星が降る〕は、アフリカのマサカという農村地帯で、村民がエイズによってバタバタと亡くなっているというもの。 知識の欠如から、いまだに何かの祟りと信じる者が多いらしい。エイズ患者には、バナナより(※)キャッサバの方が栄養があると言って、茹でただけのそれを食べるのだ。 (※)キャッサバ・・・トウダイグサ科の熱帯低木 さらに、病院代わりに“魔法使い”のところへ出向き、エイズに効くという得体の知れない煎じ薬をもらって口にする。 もうこのあたりの現実に触れると、食べること飲むことの意味も、虚しく感じてしまう。 私は今さらのように、「ありがたい、ありがたい」と思わずにはいられない。見知らぬ人が食べ残したものをあさって食べるわけでなく、チェルノブイリのような高い数値の放射能汚染された食材を口にすることもなく、この素晴らしい環境に感謝の気持ちでいっぱいだ。 マックのハンバーガーや、スガキヤのラーメンを鼻で笑う人たちに言ってやりたい。 「バングラディシュの街角で、残飯をなけなしの金で買う人々を見ろ!」 「ソマリア紛争地帯で、食べる物がなくて枯れ枝のようになっている子どもたちを見ろ!」と。 この本は、グルメを気取る人も、そうでない人にも読んでもらいたい一冊だ。 『もの食う人びと』辺見庸・著 ![]() ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.06.12 06:25:50
コメント(0) | コメントを書く
[読書案内] カテゴリの最新記事
|