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カテゴリ:読書案内
【大崎善生/聖の青春】
◆師匠にパンツを洗わせた棋士の怪童 大崎善生の作品がおもしろいと聞いたのは、もう10年ぐらい前の話だ。 だがその時は、彼の『パイロットフィッシュ』や『アジアンタムブルー』は最高だから読んでみるようにとのことだった。 確かに読み易く、読後はスッキリとした味わいに文句のつけようはなかった。 とはいえ、村上春樹に傾倒していた私は、大崎善生の作風は何となく村上を意識したものに感じて、二番煎じは否めないと思っていた。 あれからどういうきっかけで大崎善生を再び手に取る気になったのかは忘れてしまった。 だが大崎のデビュー作である『聖の青春』は一読してみたいと、常々思っていた。 というのも『聖の青春』は、重いネフローゼを患い、それを生涯の持病として抱えながら棋士として生き抜いた村山聖について語られた、ノンフィクション作品との書評を目にしたからだ。 享年29歳、志半ばにしてこの世を去る無念さは、いかばかりだったか。 将棋界の最高峰A級に在籍したまま、名人への夢まであと一歩のところで命の灯をけさなくてはならない辛さ。 私は将棋についてはまるで無知だが、この著書を読了したことで、プロというものがいかに命懸けであるかを知った。 いや、知ったようなつもりになっただけかもしれない。 それぐらい過酷で壮絶で、常人の想像を超える世界なのである。 ※左から村山聖・谷川浩司・羽生善治 あらすじはこうだ。 昭和44年、広島にて村山聖が誕生した。 上に兄と姉のいる3人目の末っ子だった。 3歳のある晩、聖は高熱を出した。近所の医者に診てもらったところ、「風邪」だと誤診されたのが命取りだった。 なかなか容体が改善されず、両親は思い切って広島市民病院の小児科にかかったところ、重いネフローゼであることが判明した。 両親は聖に対し、罪悪感を持ち続けた。 もっと早く体調の異常に気付いてやれなかったことへの罪の意識。 せめて、可哀そうで気の毒な聖には好きなことをさせてやろうと、何でも欲しがるものを与え、甘やかした。 聖は暴れては発熱、少し休んではまた暴れて発熱を繰り返した。 常に死と隣り合わせの環境だった。 そんな中、父親は6歳になった聖に、将棋盤と駒を買い与えてやった。 少しでも気晴らしになればと思ったからだ。 すると聖は、持ち前の集中力と好奇心でメキメキと腕をあげていった。 あいかわらず入退院を繰り返す聖は、どうしようもないほどの癇癪持ちになっていた。 家では狂ったように暴れ、ありったけの力でドアを叩き壊し、母の三面鏡を粉々にしてしまった。 ひどいときは、野球バットで家の外壁を殴り、大きな穴を開けてしまうほどの始末だった。 両親はすべてを許した。 どうしようもない宿命を背負った聖が、不憫で仕方なかったからだ。 そんな生活をしていても、聖は将棋に没頭し、小学生となって小学生将棋名人戦にも出場することとなった。 中学生になってからは、いよいよ「プロになりたい」と言い出した。 「大阪に行って、奨励会に入りそしてプロになる」 目標は、名人・谷川浩司を倒すことだったのだ。 東の天才・羽生善治、西の怪童・村山聖。 村山聖が生きたこの当時は、若き俊英たちが揃いに揃った時代でもあった。 なにしろ将棋界の勢力地図を塗り替えてしまうほどの天才・羽生が現われたことに、ベテラン棋士たちが度胆を抜いたのだ。 さすがの聖も羽生には初戦で敗けている。 しかし聖は羽生に対し、尊敬の念を忘れることなく、「いつかきっと」という思いで精進する。 村山聖という類まれなる棋士の、想像を絶するような闘病と同時進行の棋士人生に、私たちは圧倒される。 師匠は彼の下着まで洗い、彼をサポートした。 自分は絶対に将棋界の頂点に立つと信じ、また周囲も、何とかしてコイツを名人にさせてやりたい、という情熱に漲っている。 この熱い生き様に思わず胸を焦がさずにはいられない。 何か夢中になれるものが欲しいと思っているあなた、この作品を読んでもらいたい。 命を懸けて夢中になるということが、どういうものなのかをまざまざと実感するに違いないからだ。 『聖の青春』大崎善生・著 (新潮学芸賞受賞作品) 吟遊映人の過去記事『パイロットフィッシュ』はコチラから ★吟遊映人『読書案内』 第1弾はコチラから ★吟遊映人『読書案内』 第2弾はコチラから お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.10.15 07:21:25
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