|
全て
| カテゴリ未分類
| 浜んまち映画祭
| 「甘い人生」
| 作品レビュー(日本映画)
| 読書レビュー
| 時事
| 作品レビュー(外国映画)
| 映画の話題全般
| 映画スタッフ
| 映画俳優
| 長崎の話題
| 映画監督
| 作品レビュー(中国、香港、韓国、台湾)
| 硫黄島2部作
| 実録・連合赤軍
| 映画「靖国」
| 演劇
| アクセス数
| 哲学カフェ
| ソーシャルネットワーク
テーマ:映画から何かがはじまる(570)
カテゴリ:カテゴリ未分類
戦争というものが、その国やそこに住む人々に
どれほど大きな影響を与えるのかは明らかである。 そして、その影響は幾世代にもわたり、その国の 状況そのものをも変える。 そうしたことを考えると「戦争」を扱った小説や映画 というものが、慎重に作られなくてはならないのは 当然であろう。 出来あがった作品については、反戦か戦争賛美かを中心 に常に意見百出であるが、そうした結論よりはむしろ、 そこに至る作家の思考プロセスこそが大事である。 こうの史代は、「夕凪の街 桜の国」を作るに当たり、 広島の過去について多くの調査を行い、 関係者にインタビューを行うことによって必然的に あのような作品になったのであろう。 一方の樋口真嗣監督は、「ローレライ」を映画化するに あたり、戦争をゲームの駒の前に現れた自然災害のような 障害という程度の認識しか持たなかったようだ。 「ローレライ」の樋口真嗣監督は65年生まれ、 「夕凪の街 桜の国」こうの史代は68年生まれ で、共に同世代であるが、戦争に対するリサーチ力と 思考の深さの差は明らかだ。 その差が、作品の差となっているのではなかろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|