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カテゴリ:時事
新藤兼人の「裸の十九歳」は、おそらく私がこれまで見て
来た中でのベストテンの中に入る作品である。 主人公は永山則夫。彼の最初の著作「無知の涙」もまた、 私にはインパクトのあった本である。 この永山則夫について、先日のETV特集「死刑囚・永 山則夫-獄中28年間の対話」によって改めて彼の生涯の 全体像を知ることが出来た。この番組の中でも新藤監督が 登場し、「裸の十九歳」の一部が登場する。 この番組を見て思ったことは、これだけ社会に衝撃を与え、 「永山基準」という言葉すら生み出された事件であるにも かかわらず、この犯罪を生み出す要因は全く解決される どころか、ますます進行していることを痛感させられる。 この事件を永山則夫という個人の弱さなどに帰すことはい とも簡単なのであるが、その彼を育てた環境(個人的なも のだけではなく、社会的なもの)についてを放置してはい けないのではないか。 その観点に立つと、現在の多くの事件や犯罪が永山事件的 様相を呈しているといえようし、その傾向は強まっている のではないか。 死刑囚・永山則夫は日本の政治が生んだものであることは 明白であり、第二、第三の永山則夫を出さない為にも、実 は、奥谷禮子のような人物を社会的に発言力を与えてはい けないのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年10月16日 07時29分21秒
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