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カテゴリ:作品レビュー(日本映画)
「森崎書店の日々」は私には非常に気持ちよい空気感を
与えてくれる作品なのであるが、ひとつ疑問がある。 それは主人公の貴子が偶然にも自分を振った男と再会する。 そこから彼女は大きなショックを受け、やっと再生しよう としていた彼女にとってはまたもや生気を失くした日々に 戻っていく。そんな彼女をみかねた叔父のサトルは、彼女 からすべてを聞き、その男の自宅まで彼女と共に行き、謝 罪させようとする。 このシークエンス、本当に必要だったのか? 現実においてこのような展開になるのか? このシークエンスは他の都会の片隅のファンタジーとは異 質の世界になってしまったのだ。 神保町の古本屋の世界のファンタジーが嘘くさいのではな く、この現実にありがちな男女の諍いとそれを調停しよう とする人物の設定とエピソードの方がこの映画では嘘くさ く感じるのである。 この部分を描かなくても、貴子は叔父のサトルが決めるこ との出来なかった本の値段を自分で決めることが出来たの だから、それを再生のシーンとしてもっと強く描いた方が 良かったのではないか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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