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confuoco Dalnara

miscellanea 3

龍鳳鬥
王者同士の頭脳合戦を意味する龍鳳鬥は原題。
Andy & SammiのYesterday once moreを観て。

そういえばGreen Destinyの原題は臥虎藏龍。
場所が見かけ通りでない、という中国の格言とか。
LOVERS
の原題は十面埋伏、周りは謀であふれている、といった意味。
Velvet Rainの原題は江湖で、江湖は黒社会をさすという。
原題のほうがおもしろいな...

BTW、
さいしょ愛を試すのは...と思ったけれど、
(泥棒だから?それともドライな気質?)
相思相愛が確認できたからいいのかな...。
ブラック・ジャックのクマの話に似た...
愛する人に生きがいを与える切ないラスト。


Danny Boyle's 'Millions'
童話のよう...、英国的童話。
井戸の話とか...well, well...だれかをHappyにすると自分もHappyになる、
pricelessな価値の話。
子どもがその豊かな感受性ゆえに
思慮深く一途で優しくてほんっとに愛らしかった。
Ken Loachの映画みたいに人間の顔がよく見える。
LiverpoolのBig
Issue
も登場する。

riff-raff human beingって言葉も思い浮かぶ、New York Dollsの歌。



The Merchant of Venice
Christianityのintoleranceがよく表れていて
現代のアメリカ対イスラム世界をも思い起こさせる...異端に不寛容な...
宗教、法律、裁判、愛でさえも、
あらゆるもののambivalentでramshackleなdualityが表現されている。
法の顔はひとつではない。

Shylock:"I stand here for law."
:
Shylock:"I stand for judgmeht."
:
Shylock:"Is that the law?"

Brilliancy, thy name is Shakespeare!(put-on of the excerpt from
Hamlet)

"I am a Jew.
Hath not a Jew eyes?
hath not a Jew hands, organs, dimensions, senses, affections, passions?
fed with the same food, hurt with the same weapons, subject to the same
diseases, healed by the same means, warmed and cooled by the same winter and
summer, as a Christian is?
If you prick us, do we not bleed?
if you tickle us, do we not laugh?
if you poison us, do we not die?
and if you wrong us, shall we not revenge?
If we are like you in the rest, we will resemble you in that."
:
:
"every man must play a part; And mine a sad one."

映画はイギリス英語とアメリカ英語が混じっていた。



Le vin est mort
Wine is dead.
It reminds me of Nietzsche's "God is dead". ニーチェの神は死んだみたい...新しい価値、paradigmを創出しようとしているところなのか...。
documentary film Mondovinoで印象的だった言葉。

civilization、cultivation、exploitation、globalization、internationalizationはstandardizationではないのだろうか。
fashionもmusicもdesireもあらゆる分野で世界はstandardizationに向かっているけれど...。



Bee Season
原作を前に読んでいて映画も気になっていた。『綴り字のシーズン』
spellingが蝶や鳥のような幻想的な映像になっていて...よかったと思う。

In Her Shoesにもrabbiが映っていて
アメリカ映画アメリカ人の生活には多宗教が日常なのだ、と感じさせる。
(表現描写のPC(political correctness)なのだろうか)

宗教の問題ひとつとっても
家族の心は容易にばらばらになり得る。
でも心が離れていく理由が
日本よりあいまいでなくて、それはそれでいいのかも...。identityを主張している。

語源はなんですか?
と問いかけていてもイライザは語源をたしかめて頭でスペルを考えるのでなく
スペルが宙に浮かんで見えるのだ(眼の力か心の力かわからないけれど、見える)

最後に間違ったスペルを言った時、
なにかをのみこんだように発語した時
その語にのせて語ったのは家族へのメッセージのような気がする。

強く生きること、いつも正解を求め正解を語って勝って生きることではなく
弱く柔らかく迷って生きること、負けることを選択している。

イライザが凛としたまなざしで
間違ったスペルを確信を持って言った時
家族の絆っておもしろいなと思った。
ぴんと強くはりつめた家族の絆の糸が
ふいにだらんとゆるまって、落ちて、
そして反発力もなくなって家族が近づいたようで...

発達心理学の講義で聞いた
stiff childという言葉が思い浮かんだ。
アメリカの家族は、stiffよりlean on each otherしたほうがいいのだろうな...


B、B、B、BF!
『B型の彼氏』を観た。
ちょっと切ないところは血液型に関係なく...恋愛の普遍的なテーマが盛り込まれた?ラブ・コメディの王道かも...。
B型の率直さや弱気なところも表現されている。型破りデートは楽しそうw

シン・イの表情を見ているのが楽しい、
『大胆な家族』の時のように...。

釜山に行った時の href="http://plaza.rakuten.co.jp/confuoco/diary/200410130000/">
BBBF(Blood type B Boy Friend)





空き家


夢幻能、能の幽玄の世界のような趣もあるキム・ギドクの『うつせみ』(原題
は『空き家』)。

当初脚本では主人公ふたりに名前がなかった。
彼女と男、と呼ばれていたふたり。
無名は匿名の持つ普遍性を獲得し、
不在(非実在)もしくは幽霊のように儚い虚構と共鳴して
現実と非現実を往来している。
此岸と彼岸を行き来しているような...重力から自由な浮遊感が切ない夢と願望の物語。



Munich
どちらがterroristなのか...
the other sideをterroristと峻別し
断じることができるのか。

terroristの定義が曖昧。
あるいはterroristと呼んでしまえば名付けてしまえば
相手は向こう側に行って
血の通っていない敵と言えるとでもいうかのように。
al Qaedaと分類した時のように...。

ちょっとあやうい気もする、
こちら側と向こう側の線引きをしてしまうことが。
あちらもこちらもしていることは同じこと、どちらも殺戮をしているのに...

暗殺対象の家族を巻き込まないという騎士道や
国家のための、殺された選手たちの復習という使命に
個人として苦悩する罪悪感も描かれているが
その国にその地に生まれると
当事者であることを引き受けなくてはならなくなる。
苦悩する個人という立場を訴えても
当事者であったことは消せない。
こんな国家と個人の関係なら
国家や国境なんて...と思うけれど
彼らにとっては約束の地でもあるから...

欧州人として各地に散らばって生きてきたイスラエルの民が
中東の地に集まる遠因を想起する...holocaust
宗教がfictionだったら...
cogito ergo sumの土台が揺らぐところまでは考えてはいけないのかも。



db
年末公開されたサイト、朝鮮王朝実録
国史編纂委員会が李王職図書館の史料をDB化してネットで公開したもの。

そして今月
韓国映像資料院(KOFA)の
韓国映画専門DB(kmdb)もサービスを開始した。
kmdbによると
最古の映画、迷夢が発掘されたそうだ。

昔の映画ポスターを見れるのがいいなぁ。
2004年のPIFFでは
長音発見

ふたつのサイトをのぞいてみれば
ドラマや映画の見方が変わるかもしれない。
『王の男』や
ハン・ソッキュ主演の書生映画も...。



L'Enfant
『ある子供』ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督の2005カンヌ パルムドール大賞受賞作。

小さな映画館は立ち見が出るほど。
経済と生命の葛藤、鬩ぎ合いがつよく感じられ、
今後この問題が世界中に拡がっていくのではないか...と懼れたりもする。
子どもが大人になること、
その機会が十分でないと
心や情緒や倫理観が成熟する機会も失われる...ということ。

その後、フランス語会話で
コスタ・ガヴラス監督『斧』Le couperetが紹介されて...
そのあらすじを聞くと欧州での失業が映画のテーマに影を落とす現実を
よりつよく感じた。

『斧』のあらすじは衝撃的だった。
製造業で職を失った人物が
同業の会社を架空に作りあげて
インターネットで社員を募集する。
応募してきたのはかつての職場のライバルたち。
復職を願うその人物は応募者たちをひとりずつ殺そうとする...。


Solaris/Stanislaw Lem
タルコフスキーの映画を一時期観ていた。

ノスタルジア、サクリファイス、僕の村は戦場だった
そして惑星ソラリス。

惑星ソラリスの原作者スタニスワフ・レムの訃報を聞いて思い出した。
ふたりとも、もういないのだ。
(原作読まなくては...)

monolithも思い出すなぁ、
Straussの交響詩Also Sprach Zarathustraとともに。


НОЧНОЙ ДОЗОР
神話的な世界。
善と悪、光と闇の均衡の話がおもしろい。
歴史のようでもあるし未来が予言されているようでもある...

そして
父と子、というロシア的な
あまりにロシア的な、大いなるテーマが盛り込まれている。

ロシアでは続編も作られているそう。『ナイト・ウォッチ(НОЧНОЙ ДОЗОР)』を観て。

父と子と言えば、最近はあの映画
そしてあの映画も思い出した。



duelist
韓服の布の色彩の調和が美しい。裏と表の色合わせも襲(かさね)の蘇芳か椿のようで...

suou.gif

染物やの店先の布が織りなす色も...細やかな美術と思う。色をかさねていくのがうまい。

家々の土塀を彩る葉の色と紅葉のグラデーションはやや繊細さに欠けている気もした...
映画『Duelist』を観て。



Korean animated film shorts
韓国VS日本ショート・アニメーションに行く。
上映後はマッコリの滴を浴びる祝福(?)が...
去年や一昨年はKorean Independent Cinema 2005に行って短編アニメを観ていた。
今年はここで韓国アニメーションの現在の状況についても話を聞くことができた。

『あなたを招待したいです』
キム・アヨン/2003年/9分
生きることの寂しさがつよく伝わる。

『地獄』ヨン・サンホ/2003年/11分11秒
フラッシュバックなど演出が巧みな感じ。

『花街』チェ・ヒョンジュ/2004年/8分
おだやかなカメレオンから絵具が出てくるのが気に入った。
窓から解体している清渓川の高架も見えて...東大門あたりだろうか。

『涙、落ちる』
ハ・サンモク/2003年/13分30秒
美と煩悩と不条理、巨きなものと小さきものの間の生の格差。

『Subway Gate 5』
イ・ヒョジョン/2003年/7分30秒
欧米の街角のような雰囲気、すくいのある明るさ。

『HAPPEN』
ミン・ドンソク+パク・チョンヒュほか/2004年/5分30秒
MVのような軽快さ、軽快な映像と軽快なオチ。

『岐路』
イム・ソンフン/2003年/5分
Mayaを使ったリアルな画、Birthday Boy
を思い出す。

『モン』
クアク・キョンウン+キム・ミンギュほか/2004年/7分46秒
ペットの悲哀、ラストは韓国的ブラック・ユーモア。

『招魂』
キム・ギナム+キム・ウンジュほか/2004年/14分
舞台のように場が変わる演出と映画のようなフラッシュバックの演出の融合、
パンソリの響きが印象的。

『I Love Sky』
イム・アロン/2003年/4分05秒
こんなふうに全然韓国的でない作品も...。

『ソンの祭日』
イ・ソンヒ/2004年/8分50秒
休日が休日でない心情が伝わる。

『世界の外へ』
キム・スジン/2004年/5分30秒
井の中の蛙のような、小さな驚きに満ちている。

『その日に…』
チョ・スジン/2003年/5分36秒
生命の神秘と幸福感。

『ぼくのボールはどこへ』
チョ・ソンギョン/2005年/15分30秒
ノスタルジックで、
大人は半分はまだ子どもで半分だけ大人...という気がしてくる微笑ましさ。

『道連れ』
ハン・ヒチャン/2005年/6分
ちょっとクローン的な、現代的なテーマ。

『Lost and Found』
シン・ヨンジェ/2005年/10分
波長の考え方がおもしろい。そして友情のとらえ方が韓国らしい。

『パパが必要』
チャン・ヒョンウン/2005年/10分
ユーモアがあって愛がある感じ。

『The Oldman and the Monster』
サッカー好きらしさと、性善説を信じているような、
そして強靭な老人の話。

『The Tree』
設定が十二国紀のようで...神話的。

『巣』
チェ・スイン/2005年/8分40秒
民話のような絵で歴史と文明を語っているような作品。

『Dr. Thorn』
イム・ジョングン/2005年/24分30秒
韓国のパペット・アニメ、しかも中東欧っぽい雰囲気のは初めて観た。



2つの名前を持つ男

ドキュメンタリー映画『2つの名前を持つ男』を観た。
ふたつの名前は...
この場合ふたつの国を生きた証だった。
戦前は日本で金井成一として
主に戦後は韓国で金学成として活躍した映画カメラマンのたどった道を描いたドキュメンタリー。

金学成が携わった『家なき天使』の貴重なフィルム映像もドキュメンタリーに盛り込まれ、金学成の撮影技法、その特徴などについてこそ語られなかったが
金学成という存在を知ることが出来ただけで有意義な思いがした。

2つの名前を持つ在日の場合
ひとつの場所で2つの名前を使い分けて生きる、というケースがおそらく多いと思う。
金学成の場合、そしてその時代を生きた多くの人々の場合は
ふたつの名前を持つこと、イコール海峡を渡り
海峡を跨ってふたつの国を生きたしるしになっている。時代の違いもあるけれどね...
そんな自由闊達な足跡が眩しくもあり...

『誤発弾』は残念ながらまだ観ることができていないのだが...
昨年12月にいくつか作品を観たユ・ヒョンモク監督とリンクがつながった。


Good Night, and Good Luck

Edward Roscoe "Ed" Murrowとその仲間が作るCBS See It Now
McCarthyismを冷たい頭と熱い心で批判した話。

人権尊重に重きが置かれ、
それを語る言葉、客観的で的確な表現でMcCarthyを批判していく真実に誠実でdecentなEdたちと
McCarthy側の一貫性のなさ曖昧さ不確かさが対照的に浮かび上がっている。

Edの冷静さ、権力と対峙しようとする姿は
煙草から灰を落とすことさえないような穏やかさとdecentさ、
中心線が通った紫煙が立ち昇る映像に象徴されているかのよう...
こちら側を見つめるまっすぐな視線には
知恵と人間を愛する聡明さがあふれているようだった。
モノクロ画面だからこそ、眼の光の輝きがくっきりと映っている。
真実と真理の光のような50年前の眼の光...

50年代のJazz Vocalの響き、詞は甘く切なかったりもするけれど
黒人女性のボーカルの艶やかさがモノクロに彩りを添える。
マッカーシーの委員会で糾弾されるのも
黒人女性で、二重に(black and woman)弱い存在が
ダブルで登場して人権問題の重奏を織りなしているかのよう。

タバコ会社と闘うAl Pacino主演のThe Insiderを思い出す、これもCBSだった。

何年か前のアカデミー賞でElia Kazanが名誉賞を受賞した時のことも思い出す。

『グッドナイト&グッドラック』を観て。


Arthur 'Killer' Kane
ドキュメンタリー映画New York Doll
神が別の神に近づく時...その運命と人生に敬服した。

一見紆余曲折、挫折した人生のように見える生の
心の部分は平穏で純粋で音楽に満ちている、そんな幸福感が印象的。

現在はつつましく平和で清らかな心で生きる
元パンクロッカーは神々しかった。
かつてkidsに神だ!と愛されていた伝説のバンドのベーシストが
神であることをやめて、
べつの神の世界で生活する、無垢で素朴で聖なる世界を見せてくれる。

Arthurは幸せだったのだろうと思う。
祝福されていたのだろうと思う。
つらいことがあっても今は淡々と、おだやかな顔をしているし。
神の存在に心を寄り添わせることで
こんな風に自己を相対化して人生も変わるのかと感慨深い。

韓国ドラマでは
時に神との対話が出てくる。
人間対人間の水平な関係性以外のもの...
神に問いかけ、神に対峙する人間の、神との垂直な関係性。
垂直な関係性の分、自己と他者の関係の方向性が増えて
自己を相対化しているところが興味深い....

a capella

アーサーを見てそんなことも考えた。
ほんとうに神の子羊のようにも見えたから...

観に行く前は予習のためにDollsを聴いていこうと思った。
観た後はもっと聴きたくなる...。
When the Dolls was played in the movie,
I almost danced on the chair, and excited!
革ジャンのpunkなお兄さん方が3人でうきうきと観に来ていた。

Arther 'Killer' Kaneのbassの名はExcalibur。

Da Vinci Code
家族が再会するところで
森鴎外の「ぢいさんばあさん」を思い出して涙がこぼれそうになった。

片岡仁左衛門がぢいさんを演じた歌舞伎座公演を見たことがある。たぶん1994年3月。
るんは板東玉三郎。
若い夫婦はまもなく遠い地でべつべつに暮らすことになり...
白髪になってやっと再会を果たす場面はしみじみとした哀しみと喜びが交錯する...

ソフィーの祖父母はお互い再会はできなかったけれど...


Daisy:another version
土が火薬のにおいを消すと聞いて、花を育てはじめた。
でも魂にしみこんだ火薬のにおいは消えない...。

こんな独白で映画は始まる。
パクウィ(チョン・ウソン)の視点から描かれたDaisy:another versionは
殺し屋のハードボイルド・ストーリーのようにはじまり、
小道に逸れてデイジーの花のような無垢の可憐さと交錯するラブ・ストーリーだった。
人の善性と悪行の天秤の間のambivalentさを、無間道のように描く。

冒頭の独白にも
善性と悪行の間で運命が引き裂かれる魂の痛みが感じられる。





Coney Islandらしき風景から映画ははじまる。『インサイド・マン』を観て

RemixされたBollywood song、"Chaiya Chaiya"がオープニングで流れ
しばらく耳に残る。
シーア派と疑われ、自分はシーク教徒だ、ターバンを返してほしいと訴える青年につながる。
青年がタクシーでは人種差別を受けない、と警察で話し
タクシーは"Parks"だからな(アジア系同士だから)、と返されるのを聞いて
Parksは朴の複数形、すなわちKoreanなのかなぁと考えた。

そんな感じで、先日観た『クラッシュ』と同じくらい
混沌とした、人種民族があふれ交差する街の姿。
AlbaniaとArmeniaはどこが違う、とか。

クラッシュよりシリアスと感じたのは
現在だけでなく過去が投影されている部分。
欧米は今もナチの亡霊を追っている...

Spike Leeは直截的な表現でなく
婉曲にナチとの関わりを断罪するようなトーン。
Munichのような後味の悪さもなく、
Jew YorkThe Producersのこてこてユーモアとも異なる描き方。

黒人の子どもはPSPのゲームでギャング(nigga)を殺し快哉を叫ぶ。
ゲームのルールは、crackを売買し、車を盗み、niggaを殺すと得点が高くなる、という
nigga対niggaの現実を戯画化して想起させる。
Bomb the Systemを思い出す。

警官の労を掬いあげるような、Serpicoへの言及はNew Yorkへの新しいオマージュか...。
Spike Leeにはこんなあったかいファミリーものもあるし、また次のNew Yorkが楽しみになる。



How Does the Blind Dream
Rap、Hip Hopは耳に届く時と
心に響かない時がある....
聴く人は聴くけれど聴かない人もいるから。

『How Does the Blind Dream』
ファンタジーの最後はRapで
聞こえる人と聞こえない人がいて
それが見える人と見えない人の間の隔たりをパラレルに感じさせた。

ユ・ジテ監督の短編映画を観て@SSFF 2006。



Breakfast on Pluto
"Sugar Baby Love"の歌にのって映画が始まる。
2羽のコマドリは町のうわさ話をしながら配達の牛乳瓶の蓋をつつく(彼らはなんでも知っている)。

IRAのテロリストと間違われても
宇宙の話で釈放されて...
ちょっと夢のような、でもたくましいおとぎ話のようでもある。
善意の人に悪意があり、
敵が味方だったり。
不幸と幸福感の渦潮に無垢と想像力と善性をマーブルに混ぜて
美学で悪徳と想像の復讐を蹴飛ばす!

毒薬には砂糖菓子をふりかけてしまうような聖キトゥンの可憐さ。

クラブでテロによる爆発があった時は...
あとで確認するとU2が歌っていた"Sunday Bloody Sunday"の日だった。
The Crying Gameをもう一度観たい。

岩波のCandidoがなかなか見つからなくて探し中。

韓国のある時代のペパーミント・キャンディを思い出す。



怪物
ポン・ジュノ長編3作目。
米国が近く遠く影を落とし
殺人の追憶がオーヴァーラップする。

怪物は...
空虚な思想いろいろが変質変成した政治のカリカチュアのようにも思えるし
怪物に火炎瓶を投げつけるところは
怪物が過去の(現在も?)政府の姿のようにも思える。
あるいは米国・米軍の化身か...

少女が命を落とすところでは
米軍の装甲車に轢かれた中学生を思い出した。

まちがった情報に翻弄され、東奔西走している現代社会を風刺して
普遍的にも思えた。
毒があるのかないのか一家も怪物もhost(宿主)と思いきや...
どちらも無実で空手で終わるからっぽな時間と
家族のために熱い涙を流し、戦おうとする愛の深さ、庶民の潜在力の対比。一番涙した。
空虚な世界と時間に対峙する魂...

怪物の声はオ・ダルス。
先日観たHow Does the Blind Dreamでは
オ・グァンノクと双子のように?映っていた。


Movida - Korean Independent Cinema 2006
今年も新しい映画がReloaded。

『ゲオ・ロボトミー』
『イエスタディ』という韓国映画を思い出した。
そこにはゴリアテという破壊者(ペリシテ人の巨人戦士)がいて...
子どものころの境遇や近未来的な物語の設定がパラレルになる。
キム・ゴク、キム・ソン兄弟監督。

16mm、35mm、videoとさまざまな手法の作品を見ることができる。
この長編もvideo撮影だった。

『ショッキング・ファミリー』は楽しかった。ジェンダーと家、家族を意識する。
キョンスンの作品。
韓国VS日本ショート・アニメーションで観た
『ソンの祭日』と重なった、いつも台所にいるオンマ。どうしようもなくだめで考えの古い男は友人として登場。
映画を撮る前に合宿に行くのが
大学生が必ず経験するMTみたいでおもしろい。

『顔のないもの』
『僕と人形遊び』の現実、
人形から人間へ現実を渡り行く、テーマを反復する創作手法、
physiologic(al)な描写と心情描写が交互に押し寄せモチーフを繰り返す手法。
キム・キョンムク監督。

Korean Independent Cinema 2005 - New Cinema Reloaded



太陽
歴史は肉声からつくられるという感慨。そして会話からつくられる。

issue of fateというせりふが印象的。
運命について話題にしているが
その運命のあまりの重さ大きさと
淡々とした人物との対比に驚く。

魚類研究家がみる夢は...
魚の爆撃機が
魚のかたちの爆弾を落とすシーンは
悪夢なのだが一種幻想的だった。
さすがタルコフスキーの国、ロシア人の映像。

Charlie Chaplinに似ていると評せられても
芯は12歳の日本人ではなかった。
そのしぐさに笑う観客には箍のない民主主義を感じもするのだが...

12歳の


韓国シネマアカデミーの卒業制作作品を横濱に観に行く。

イム・サンス『クー氏のカメラ』(1988年)
煙幕に包まれる延世大学校が映っている。

ホ・ジノ『コチョルのために』(1992年)は中古車ブローカーたちの映画。
主人公はドラマ「ナイスガイ」で囁く親分アン・ソクファンと
刑事で双子のお父さんのパク・クァンジョンの組み合わせがおもしろかった。

ポン・ジュノの『支離滅裂』(1994年)は一見つながりのない、権威だけは高い3人が登場するそれぞれのエピソードが
最後でつながるオチがあって・・・一番おもしろかった。炊飯器は『怪物』にも出ていたなぁ。
『殺人の追憶』のキム・レハ(若い!)が出ている。

イ・ハ『愛していい?』(2003年)

キム・ヒョンジュン『ウサギとクマ』(2005年)

アニメーションも観たかったけれど、チャン・ヒョンユンの短編『手紙』は2004年の韓国インディー・アニメーションで観た。

シネマアカデミーの授業では35mm、16mm、ビデオどれでも選択できるそう。


トンマッコルへようこそ
陰陽のように
ファンタジックな理想郷とリアリティが渦巻いて、清濁併せ呑む...映画。
『JSA』とトーンは異なるけれど...
理想や希望や願望や交友や疎通はあっても、つきつけられているのは現実だった。

to be continued...maybe:-)


呼び出される歴史
京都の大学でシンポジウム。
今日は韓国映画の女性像について。

1920年~2000年の
韓国映画の女性像は恨で語られるものだった。
1960年代は太陽族の青春映画の花にすぎず、
1970年~1980年代は独裁政治の下、自由奔放な女性像は描かれることはなかった。
1990年代になっても女性の主体性やアイデンティティーは描かれず。
2000年以降の韓国映画の女性像は
女性像/性としてでなく女子像/性として語られるようになる。
(日本語では女性像/性と女子像/性とを区別して使わないので
日本語で表現するのはむずかしい...genderとしての女性像/性)

1997年のIMFアジア経済危機が
映画にどのような影を落としたか、
元韓国財経相の講演の時は聞くことができなかったが...。韓国映画とIMF
民主化が進んで社会が急激に変化する一方、
家族が解体し...(どこの国も同じような状況だが)
その状況を反省し映画の中でも対象化せざるを得なくなったという。

『浮気な家族』を観た時は
農耕民族のような、陰陽で言う地を体現するように保守的に描かれていた女性像が
狩猟民族のように躍動的で活動的に描かれているのを感じた。
『オアシス』のせつなさとはまた異なる趣で
女性の、ムン・ソリの美しさが印象的。

青燕
これは在日の始まり、はじめの在日の映画と思った。
朝鮮人と日本人、男と女を区別しない空が一番好き...
パク・キョンウォンが詩的な言葉に託した(隠された)思いは
今の在日の心情にも通じるかも。

でも、もし80年後の現代の在日も
詩的な言葉でしか心情を語れないとしたら...
詩などの創作芸術に胸の裡を託し
直截的な心情の吐露を回避するとしたら...
それは視覚化されない綿のような重圧が
現代も残ったままだからなのかもしれない。

もうひとつ、
日本人に見える(見せようとする)在日(ハン・ジヒョク)の像は
現代の在日のひとつの鏡像のよう。
選択肢のひとつとして、
生活の言語、支配者の国の言葉日本語と
人生の言語、祖国の言葉朝鮮語を矛盾させ共存させ使い分ける生き方がある。
肉体の言語と魂の言語の峻別と乖離と混沌のambivalence。
それは
木部が外務大臣を思いやるかのような偽善的な言葉のオブラートで
キョンウォンの人生を手助けしたい本音と真心を包んでいるような...
生きる手段、道具としての言葉、演じる言葉と真実のギャップが
在日(の居場所)の二重性を孕み、二重性とも絡んでいるように見えた。

朝鮮人と日本人、男と女を区別しない空が一番好き...
この言葉は海を越え普遍の地平にも広がる。
黒人女性はまず人種で差別され
女性としても差別され二重の弱者の時代を長くすごした。
Alice Walkerの小説を読んだり公民権運動の時代の話を聞いて知った。

映画を観て
この時代の半島の女性が
黒人女性とオーヴァーラップした。
被支配者として、さらに女性としても区別されている。
black and woman

さらに
コンテンツの分野で新しい女性像、男性像が提示されているのが興味深い。
ドラマ「チャングムの誓い」や「私の名前はキムサムスン」に登場する男性のように
女性が夢をかなえる姿を見守る男性像へと
表現が変遷して来ているのが見てとれる。

画期的な女性像を表現した『浮気な家族』(2003年)
には傍らで見守る男性がまだ不在だった。
2004年、2005年に社会が潜在意識下で求める女性像が変わってきて..
これまでの女性像を超えた女子像、男性像が描かれはじめている。
(韓国語では、genderとしての女性像の謂いで女子像という言葉をつかう)

古いのか新しいのかわからない映画。
これが普遍的ということなのか。

ほぼ同時代のアイルランドを描いた
『麦の穂を渡る風』で英国軍がIRAにしていたこと、
まるでパラレルだった、近親憎悪は世界中で起こるものなのだろうか...




韓国人権委員会が人権をテーマに製作した短編オムニバス映画、今回はアニメーション。
『昼寝』
子ども同士の差別は
親から伝染するのがわかる。でもほんわりした絵と色が救い。

『動物牧場』
ARDMAN (『ウォレスとグルミット』シリーズなどのクリエイター)のクレイアニメのようで親しみやすく可愛らしいが、せつないシーンも...。

『彼女の家で』
働きながら乳児を育て旦那の面倒もみるとなると...。

『肉多骨大女』
半島の民画(虎の絵)のようなデフォルメした画風が楽しい。

『自転車の旅』
はイ・ソンガン監督。
最初のIf You were Me(『6つの視線』)でパク・チャヌク監督の『N.E.P.A.L. 平和と愛は終わらない』を観た時や
ユン・イノ監督の『バリケード』を観た時のような気持ちになった。

『人間になれ!』
学歴社会を風刺。

アニメーションは
子どもも観る機会があるのかな...

2006年のIf You were Me(『5つの視線』



TICKETS>>
『明日へのチケット』を観て。

同じ国の他者であろうと
異なる民族の他者であろうと
一貫して他者との関わりが描かれている。

鉄道での一瞬の出会いを通して
他者との関わりを通して
自分の殻を破ったり
新しい地平に踏み出す人々が描かれ
これが人間の生活、人生という気がしてくる。

エルマンノ・オルミ
アッバス・キアロスタミ(オリーブの林をぬけた...監督の写真
ケン・ローチ
の共同監督作品。

人間の顔がよく見える感じ。


偉大なる系譜
友人に会う日々と
映画を1日1本以上観た日々。

気に入ったのはチャン・ジン監督の新作『偉大なる系譜』。

塀の中から外へ...の前半は反権力、庶民のたくましさとユーモアに満ちていて
半島の伝統的な仮面劇の話法と批評精神が感じられて興味深い。
『光復節特赦』を思い出した。

長い棒を持ったやくざに「お前は李舜臣か?!」
といった韓国的ユーモアのある台詞は映画に欠かせない。

greatssuda.JPG

後半は男の友情と仁義・人情が主題。
仁義・人情が男の友情を表現するひとつの手段なのかどうか。

男の友情といえば、幻の名盤解放同盟(根本敬)共著の
「ディープ・コリア」に登場するような老人の友情が描かれているのも印象に残った。



The Wind That Shakes the Barley
映画『麦の穂をゆらす風』を観て。

自己の考える正義や信条と倫理のせめぎあいに心が痛む。
歴史的にみても政治や戦争に巻き込まれた一個の人間が
いちばん苦悩する部分でもあるから...普遍的なテーマだ。
信条と倫理の葛藤のほかに、当時は信仰的倫理感から許されない行為もあっただろう。
それらを飛び越えてまで守るもの
守らなければいけないものは何なのだろうか、その価値は重いのだろうか。
ほんとうは政治的主義主張が人の倫理に生きる道に優先してはいけないと思うのだが...。
なによりも重いのは、守らなければいけないのは...と映画を観て心に刻み込む、
世界で起こった、そして今も起こっている同じような戦争を思い出しながら。

アイルランドが英国に支配されていた情景では
植民地化された半島が想起され、
内戦、そして兄弟が銃を向け合った状況は
時代こそ異なれ朝鮮戦争が思い浮かんだ。
アイルランド風の名前そのままの発音を
英語の発音に言いかえない、そんな小さな抵抗さえ

南北にわかれた分断国家をパラレルに考えようとする時
東西にわかれた分断国家に目を向けることも多かったが
最近アイルランドに近さを感じている。
『プルートで朝食を』と『ペパーミント・キャンディ』とか...。

アメリカはアイルランド移民が多いはずだが
米英がいろいろな場面で同盟を組んでいるのが不思議...

半島の未来を考えると、統一の先輩のドイツに行き着き、
歴史や過去を振り返るならアイルランドに行き着く気がする。


Copying Beethoven

『敬愛なるベートーヴェン』を観て。

ベートーヴェンの
触覚のような蓬髪が向かっているところが
芸術へと向かうまっすぐな気持ちを象徴しているようにも見えた。
モーツァルトと変わらない放埓な発言もあって
芸術家の、天才の精神の一端に触れる思いも。
Ludig B.のイメージとは異なっていて...)

映画館の音響で聴く第9もなかなかよかった。
大フーガのちょっとわかりにくい旋律が聴衆に受け入れられず
意気消沈して終わる姿を描きたかったのではないと監督は語っていた。
第9で盛り上がった後は
その印象もあるけれど...真の芸術を次世代のアンナに伝え、育てようとする姿がよかった。

1番から9番まで

TIFF2006でCopying BeethovenPerfumeは同時間帯の上映でどちらを観るか迷っていた...


36 Quai des Orfevres

映画『あるいは裏切りという名の犬』を観て。

レオとドニ、どちらも清濁あわせ持つのに、ひとりは光のようにもうひとりは影のように見える。
レオの妻をめぐるふたりの因縁は特に説明されていないが
微かな表情の変化で過去のいきさつが想像される...
心の動きが心の揺れのように大きく表現されていないから
想像で補うしかない部分があるから、
その黙して語らずの部分がすこしの謎を残して見知らぬ隣人の物語のような印象もあたえている。

その最後の一言で
もう一度長い旅に出るかもしれなかった同僚を救ったシーンにはっとする。
同僚を復讐の道から救い出すと同時に敵に復讐する、硬貨の裏表のような一言。

実話が元と聞いたが
内なる敵と外敵と同時に戦う警察の生活の熾烈なこと...

原題は「オルフェーヴル河岸36番地」パリ警視庁の住所。
ダウニング街10番地が英国首相のポストを指すように
地名が住所以上のもの(役職や省庁)を象徴している?...
韓国で忠武路といえば映画の街。
「忠武路に行け!」なんてセリフも韓国ドラマで聞いた。


映画『ショコラ』を観て。
チリペッパー入りホットショコラ、ちょっとためしてみたい。
韓国でおみやげに買う唐辛子チョコの味のイメージ...?!

黒胡椒入りや塩キャラメル入り、チリパウダー入りのチョコレートは前回のSalon du Chocolatで。

giandujaではないけれど豆そのものがナッツ風味のCosta Rica、Sur Del Lago、アンデス岩塩と檸檬のLemon Salt。

choco51.JPG

chocolate factory


墨攻
紀元前5世紀の墨子の思想、侵略戦争を否定する「非攻」派・墨家の映画。
非攻派・墨家が「攻める」という意味になるタイトル『墨攻』は二律背反になっているが、
戦乱の世で平和の道を模索するジレンマを表現しているようでもある。

戦国時代に平和を目指し
戦争に巻き込まれざるを得ない状況で
戦いながらも考え、非戦主義の実現の道を探る。
巷演中も革離も狡猾な権力に引導を渡された感のある最後は
正解のない問題の根深さを感じさせる。2千年以上前から現代まで...まだ答えは出ていない。

酒見賢一原作の「墨攻」を読むかも...to be continued...

MUSA-武士-をちょっと思い出す...


Comedy in Tragedy:Mrs. Henderson Presents

気のつよい英国マダムとユダヤ系支配人の掛け合いが楽しい。
presentとproduceが丁々発止と。
Comedy in Tragedy、悲劇の中の喜劇。『ヘンダーソン夫人の贈り物』を観て。
困難を乗り越え、エンターテインメントで周囲を元気づける劇場の人々の姿を
楽しく見ながらも戦争が落とす影や
それぞれが心に秘めた傷がところどころに感じられた。
戦争はいつでも悲劇だけれど
その中の小さな喜びをしみじみ感じる。Comedy of Tragedy

息子世代を思う母の心情と
若い兵士とうたかたの恋の日を過ごす若い女性の純情とのギャップにちょっと胸を衝かれる。
そして劇場に集まってくるのはユダヤ系にゲイ...
いわくがある者たちばかり。
ユダヤ系はエンタメ業界、というのが
N.Y.を舞台にしたThe Producersを思い出させる。
この人種はこの職業、この階級にはこの仕事、という枷は少しはゆるんでいるのだろうか。

美術館のヴィーナスのように
動かない裸身は芸術だ!というのが楽しい。

当時の英国貴婦人の精神と生活、言葉遣いが意外に先進的で古びていなくて興味深かった。
でも夫を亡くしたときの、抑えた悲しみの表現は昔風なのかなぁ...。

Bob Hoskinsの映画は久しぶりに観た気がしたが...Beyond the Seaに出ていた。
最初の出会いはNeil JordanMona Lisa

Dame Judith Olivia Dench(ジュディ・デンチ)の中国人の扮装が愛らしい。
好きなので...いつか彼女のシェークスピアものも見たい。


Magicians
友人の死を悼む心が
Sylviaという美しい歌になる。
シルヴィアは
死んだジャウンが白樺の樹を呼ぶ時の名。

想起することが愛。
詞のひとつひとつを噛みしめるように聴くと
今度は自分の友人たちの顔がやさしく浮かんでくる...

年がかわる大晦日の夜に再生の予感を感じずにはいられない。
古い年と新しい年が入れ替わる一瞬は
まるで来世と現世が手を結ぶようで...

時間の層のもつ不可思議さを
ワンテイク撮影に回想を盛り込む手法で表現している。

タンゴが鳴り始めると俳優は化粧直しや衣装替えをして、
ヘアスタイルも変えて次の幕になる。その構成がおもしろかった。
ジャウンはリヴァーシブルのコートを
ミントグリーンに光る裏地を出して着ている。
黒い表地に反(かえ)して
現在と過去、彼岸と此岸を行き来する。
フラッシュバックがちょっとの間(ま)で非連続的になって
ワンテイクの、舞台のような映画であることを忘れさせる...魔法にかけられたように。

過去と記憶と想起が愛で結びつけられて音楽になる...enchanted...

ソン・イルゴンの『マジシャンズ』を観て。



The Departed

有色人種だけでなく
白人の間でもアイルランド系は差別されているという背景が
もしかしたら深みになり、
『インファナル・アフェア』に登場する寺の代わりに教会が善悪をつなぐ舞台として
無間地獄の代わりに煉獄がクローズアップされるのかと思ったけれど...
そうではなかった、deepではなかった。

冒頭アメリカ社会の深部を意識させ一瞬期待した...
「ケネディが大統領になるまで俺たちは差別された。
黒人が大統領になれば(黒人の立場も)少しは変わる(差別されることもなくなる)だろう」
とアイルランド系のコステロが言ったセリフは興味深い。
今度の米国大統領選の民主党有力候補に
史上初のBlack大統領誕生と目されるオバマ氏と
史上初の女性大統領なるか、というヒラリー・クリントン氏の
マイノリティふたりがいるから。
これまでアメリカの大統領はいつも白人男性(基本的にWASP)だった
(アイルランド系などルーツはいろいろかもしれないけれど)。

Well, ...back to the movie!

善と悪の間で
信と義のせめぎあいの中で苦悩する良心
アイデンティティの喪失感など
『インファナル・アフェア』で描かれた無間地獄に切りこまないで先に進む、
オリジナルのプロットをなぞるだけの部分が皮相的で、薄っぺらな感じ...

心の動きがあまり画面に出て来ていない気もして
人がたくさん撃たれて倒れるアメリカの人形劇のような気もした...
最後には救われる思いもしたけれど、
主人公たちの心理的葛藤などがそれまで十分に描かれていなかったので
真の意味でのカタルシスは得られない。

生き方は問われていなかった。
これが現代のアメリカの、上昇志向という欲望に生きる生き方なのかもしれないけれど。上昇したいという欲望が潰える(ラストのベランダの陳腐な演出)のと、
「善く生きたい」という願いが叶えられないのと、
ふたつの映画で描く生き方があまりに違っている。
生き方はその社会を投影しているだけかもしれないが...

Departed...そして誰もいなくなった。That's all.

映画『ディパーテッド』を観て。



An Inconvenient Truth
地球の環境は深刻だった。
人間が破壊し汚染した環境のために
動植物が死に絶えるのを見るのはつらい。
いつかまた地球に氷河期が来たら、それは地球の自浄装置かもしれない...と考えたりもした。

大学生のころ弟子になりたかったカール・セーガンが
アル・ゴアと交友があると知ってびっくり。
シンプソンズ風に温室効果を説明するコラボレーション・アニメがアメリカ的。

今日はエコ・デーなので
太陽と風による発電で映画が上映されていた(エコ上映)。
CO2削減のためのグリーン電力が映画の場にも広まっていてうれしい。

あたためていた環境問題解決のための企画を今年は実行したいな。

*グリーン電力
電力を使う人が自由に選べる自然エネルギー(風力、太陽光、バイオマス、小型水力、地熱などの再生可能エネルギーから発電された電力)。
アメリカの一部の州やヨーロッパでは再生可能な自然エネルギーから発電されたグリーン電力を消費者が選ぶ(購入する)ことができる。

LOHAS
Green Santa


鉄コン筋クリート

原作は連載されている時たまに見ていた。
その白黒のマンガがこんな色彩になった!

takaramachi.jpg

ストーリーの中で
宝町のシーンとそれ以外では画調や色調が変わり
(音楽が変調しているみたいに)
ここは原作とは違う演出なのだろうか、と思いをめぐらせていた。

シロ役の蒼井優が雰囲気があってとても上手かった。

子どもの無邪気な世界。
無邪気は邪気がない、のではなく
善悪の彼岸や時間の観念を飛び越えて、棘は隠さず、尖らしたまま、の感じ。

もうひとりの自分については、例えばStar Wars Episode III Revenge of the Sithにも見られるようなEgoとIdの葛藤が思い起こされる。
いにしえからの、Bildungsromanの持つ永遠のテーマだろうか。



Letters from Iwo Jima
アメリカに縁のあるふたりの日本軍人だけでなく
日本しか知らない、海外に出たことがない軍人さえこの戦争に疑問を抱く...
はじめてイラクに行った米軍人が
イラクを攻撃することに疑問を抱きはじめて...
良心がはたらきはじめる、心の動きが古今東西共通している気がした。

やはりこの監督は心の動きと心の機微、良心のはたらきを繊細に描く。

Million Dollar Baby
Mystic River

『硫黄島からの手紙』を観て。







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