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カテゴリ:西風通信
障害者自立支援法が施行され、障害者の世界にも自己決定、自己負担の原則が適用されるようになりました。今までは障害者に自己決定能力がないと見なされてきました。自己決定能力がないから自己負担が求められない世界は、障害者から人間の尊厳を奪ってきました。障害者も自己負担をするのだから自己主張する世界が本当の意味でのノーマライゼイション世界です。
障害者の自己負担は多くて1割ですから、障害年金で払えない額ではありません。昔、エノケン(2,3時代前の喜劇役者)が税金を納められたことを涙を流して喜んだという逸話が残っています。社会の一構成員として応分の負担をすることが、社会から障害者に対する差別感をなくし,障害者自身の自立を促す道となります。 西風の会 HP, 西風通信, 西風の会 (調停) 瀬戸キリスト教会 HP お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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初めまして。
30きっぷと申します。 堀様のご意見を拝見しましたが、いくつか理解のできない点がありました。 1.障害者の負担増加が差別をなくすという点に対する疑問 障害者の経済的負担が増加により、なぜ差別がなくなるのでしょうか? 自立支援法による障害者の医療費負担は、あくまでも経済的な問題であります。 しかし差別は、個人の障害者に対する考え方の問題です。 障害者が医療費を多く負担したという理由により、差別がなくなるというご意見には、賛同できません。 2.障害者の自己決定能力の有無と医療費負担の因果関係に対する疑問 私は、障害者の自己決定能力は、疾患等による障害に起因するものであると考えています。 一方、医療費負担は、障害者の経済的状況によるものです。 この2点の因果関係を、理論的にご説明下さい。 3.障害者の医療費負担の増加による弊害 自立支援法による障害者の医療費負担の増額により、障害者の自立が阻害される可能性が考えられます。 医療費のみならば、障害者年金で支払うことは可能かもしれません。 しかし、障害者が「自立して」生活する場合、家賃や光熱費、食費なども必要になります。 障害者の医療費負担額の増加により、生活費が圧迫されることは明らかです。 また、「社会的な費用の負担により、障害者の自立が促される」というご意見には、納得がいきません。 もし障害者の自立を促す政策を行うのであれば、障害者が自活するための生活費を確保できる社会的環境の整備が必要であると、私は考えております。 私は、自立支援法は、経済的負担の増加により、障害者の医療を受ける権利と自立支援を抑制するという点において、明らかな悪法であると認識しております。 堀様が、障害者の置かれた現状を正確に認識された上で、改めて自立支援法の是非について考えて頂ければ幸甚に存じます。 (2006/05/20 05:19:44 PM)
私の身の回りにいる生活保護を受けている人たちの生活レベルは必要にして十分ではないかと思っています。私は扶養家族ですが、家内の収入は月10万円です。食費は二人で月3万円程度です。医療費は糖尿病なので月2万円を超しますが、障害年金で十分に賄える範囲です。光ファイバーが敷設され、テレビ、電話、インターネットをセットで利用しています。それで質、量共に満たされた生活をしていると感じています。
私は現在の福祉の水準は必要最小限度を満たすものであり、働かない(働けない!)以上それで満足すべきではないかと思っています。「障害者だから何でもただ」という世界はむしろ障害者の自立を妨げる世界だと思います。 障害者だからこそ、障害者のためにどれだけの税金が使われているかを知るべきです。そのためには1割程度の自己負担をするべきだと思います。精神科の自己負担は障害年金から比べればわずかなものです。 差別の恐ろしさは、障害者の自己決定権を認めないところにあります。経済的に自立できない人、自己決定をできない人もいるのが現実ですが、少しでも前を向いて進まなくてはならないと思います。 障害者の置かれている世界は、それなりに恵まれた世界だと私は感じています。お金がないからこそ、お金がかからない時間の過ごし方を考えることが必要です。例えば私は週3~4冊の本を図書館から借りてきています。 障害者の置かれている世界は、35年間~40年間働きづめで働いてきた人たちの定年後の生活をすでに現在享受しているのです。 現実の障害者の置かれている世界には様々な問題がありますが、先ず障害者の方から、被害者意識を捨て去らなければならないと思います。差罰と言えば総てが正当化される時代はすでに過ぎ去ったと思います。 時代は障害者に一市民としての権利を認めるが、障害者にも一市民としての義務を求める時代になってきたと思います。 (2006/05/20 06:06:34 PM) |
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