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旅の終わりの日の朝は、いつも静かだ。
ちょっとした旅愁の予感のようなものが、身体を取り巻き、風景を落ち着かせてしまう錯覚に陥る。空中にはニG程の重力がかかり、人々がスローモーションに見える。肌に触れる空気の流れを繊細に感じることができる。街は、私を、惜しんでくれる。 インド、ニューデリーの最後の朝、道端にあるポンプ場で葉を磨く男。オレンジ売りの屋台の開店準備に忙しい女。リキシャーに乗った制服を着た中産階級の子供達と、やせ細った体から汗を流しながらペダルを漕ぐリキシャーマン。 アメリカ、ニューヨークの最後の朝、通勤ビジネスマンに混じって信号を無視して歩く私。タクシードライバーのデニーロのみたいに襟をたてて、巡洋艦の停泊するハドソン川沿いを歩く私。何となくデリカテッセンで薔薇を一輪買う私。 そして今回はイタリア、ミラノ。窓を開けると通勤途中の人々の路面電車の昇降風景が見渡せる。荷物をまとめ、そして街に出る。ドォーモ(大聖堂)前広場を通る。足早の人々を見ると、私は生活に関係ない世界から訪ねてきたただの傍観者なのだなと思う。五百年もかけて造られたドォーモを見ると日本の急成長の弊害のことを思った。地下鉄に乗り、バスに乗り、空港へ。私の身体は乗り物のスケジュールによって自動的に動かされている。「帰ろう」と思った時、予定のなかった気楽な旅が終わる。あてのない旅、流浪の旅、移住、そうでもない限り、帰るべき場所がある旅である限り、出発のために一歩家を出た瞬間から帰宅を目指していた。旅を終える為の旅を。 日本と親密に係ってきた国オランダへ。 関西国際空港で、何故か「アムステルダムで降りられますよね」とカウンターで確認されたことを思い出す。オランダ航空は日本発だったので日本人が多かったが、空港からでる日本人は見かけなかった。アムステルダム中央駅までスキポール空港から四駅二十分。プラットホームは空港の地下、切符を買うのを忘れていたと、もう一度地上に戻り切符を購入。ドイツでもそうであったが、改札がないので何時の間にかプラットフォームへ。いや、インドもインドネシアもパキスタンもタイも改札がないところなんかいっぱいあった。 斜め前の一人の元ヒッピー風おねえさんが煙草を吸ったのを確認して、私も吸う。煙草は日本より高いが喫煙率は高そうだ。一人が吸うとつられて皆が吸うの法則により、やがてこの車両も煙につつまれてしまう。車掌の検問はなかったが、自由の国でありそれゆえの責任の国であり、後日、私は間違った切符(レジデンス用)を買ってしまっており、問答無用に三倍徴収された。勿論、細かい金がなかったのであとから清算しようと思ったというのは理由にならず不正乗車である。 アムステルダム中央駅。運河の風が吹き荒れる。東京駅のモデルとなった駅。八重洲もオランダから江戸に住みつきサムライになった人の名前。 街は派手だ。パリやロンドンの重厚感やシックとは違い、アートアートしているが、ポップである。海面下の湿地帯とよく降る雨の水はけのために切妻屋根を中心とした概ね五、六階建に統一された独特の建物は、色使いが派手。黄色に白に茶色、そしてその色と色の境界線がはっきりしていて漫画のようだ。チベットの色使いに通じるものを感じる。油絵でなくポスターカラーで塗りたくったような感じ。建物のほとんどは十七世紀からのものであるが、このキッチュな色はらりっている様だ。 そういえば空港の床にテレビがはめ込まれていてニュースをやっているのを見て、結構イッテルなと思った。 十七世紀、世界最初の株式会社、東インド会社を設立し、宗教中心の中世の中、商業至上主義を選択したこの小国は、その経済発展ゆえに、大国イギリス、フランス、スペインに苛められまくった。国土の狭さと人口の少なさで、まともな軍隊を持たなかった(軍事よりも商売!)ゆえに致命的な連敗続きの国。レンブラント、ゴッホ、フェルメール。カルバンのプロテスタント気質が似合う風土。小国主義。個人の自由が尊重される国。野垂れ死にの自由。スクォッティング(空家占領の自由)。ジャンキーになってしまった人々のために代替薬メサドンと感染症防止の新しい注射器を満載したトラックが定期的に回る国。高い税金。同性の結婚の認知。精神的安楽死までも認める国。公営売春。自転車。 一日歩けば感じる「自由と寛容」エラスムス。スピノザ。 小雨が降っている中を、駅前地図掲示板を眺めていると、おじさんが寄って来て、「R」を瞬時に三度程言う程の巻き舌で目指すホテルの行き方を説明してくれた。その国が好きになるかは、その国で知合ったり出会ったりした数少ない事例から、その国の好き嫌いを評価してしまう傾向にある。私も外国人と話すときは日本代表という心構えを持つようにしている。別にナショナリストではないが。そううえば、今まで各国で出会ったオランダ人は、珍しく人種差別的な態度や発言はなくフレンドリーであった。それに何故だか煙草の紙を巻くのが上手だった。 ピルグリムファーザーズは信仰の自由を求めてアムステルダムに十年住んで、この街で思考、生活様式を確立させていった。彼らは、ニューヨーク(元ニューアムステルダム)やハーバード大学を造っていく礎を築いていったのだから、第一印象何となくニューヨークに似ているというのは、そのあたりからきているのであろう。 ホテルまでは運河を越え、越え、結局大いに迷ったが、面白そうな街と直感した。迷子になる自由が旅行にはある。誰からも干渉されず、行方不明の状態、ただの無責任な傍観者。 カイゼル運河沿いのホテルにチェックインする。ホテルの好き嫌いは、価格立地設備広さ景色そして対応、それだけでは判断できない部分がある。雰囲気というしかないか。臭いである。かび臭いのは論外であるがビジネスホテルのように無味乾燥もいただけない。今までどんな客が泊まってきたかということもあるだろう。調度品もさながら、部屋に一歩入ればなかなかいい感じであった。 このカイゼル通りは不法占領が流行った地域で、オランダでは不在を続けていれば不法占拠されてもやむなしという変な常識がつい最近まであって、そんな場所で芸術活動を行ったりしたらしい。世界中のフーテン旅行者が集まりそうな話だ。窓から凍った運河を見ながらそう思っている。 ヨーロッパの趨勢として、個人使用における害のほとんどないマリファナ程度なら黙認状態になりつつあるが、アムステルダム市内でけでも四百件近くの自由に吸える喫茶店が解禁されており、あちこちに点在する。店の名前はコーヒーショップと表示されており、ハードドラッグは違法なので当然置いていないが、アルコールも置いていない。三分歩けばコーヒーショップという感じだ。実際統計的には解禁以降は喫煙人口は減っている。勿論、ハードドラッグでいってしまいフラフラになっている人はいるが、思った程でもない。よくあるだんだんより強く効くものを求める論理があってだからいくらソフトでもマリファナ駄目というのもあまりあてにならないことが分かる。別のものだからだ。一定数はいるだろうが、いわばビールを飲みつづけたら、更に強いウイスキーやテキーラやウォッカににそのうちうつっていくというものでもないのと同じかと思われる。 それにししてもジャズの店、ロック、レゲエ、瞑想、ゲームセンター、ビリヤードいろいろ資本主義の荒波に揉まれながらも経営している。喫茶メニューも「シンセミア・タイ・モロッコ・ハワイアン・アフガン・ネパール…」など堂々と記載されていて笑える。合法とは不思議なものだ。 また二つの種子会社が、交配に交配を重ねて、よりいいものを作ろうと切磋琢磨しているのも微笑ましい。花屋にも寄ったがちゃんと種子も売っており、栽培方法もこと細かく図解入りであった。 ガラス越しの向こうでは客がプカ~っとやっているのに、通行人は全く気にせず通り過ぎていくというのが笑える。客は若者中心ではあるが、渋いダークコートにネクタイ姿の初老の紳士もいたりする。コホンと気取って咳き払いなぞしつつ、おスマシサンしてても意識はガンガンきていると思うと愉快である。何か会社帰りに赤提灯寄っていくような感覚なのだろうか。「じゃあ今日は軽く一服決めに寄りますか」とか「キミィ、私の勧めたグラスをもうこれ以上吸えないというのかねえ~」とか「イッキイッキ」とかいった光景が繰り広げられているのかも知れない。思索的ではないことは確かだ。 何故か早起きしてしまった。ホテルの豪華な十七世紀に建てられた部屋で朝食。さすがに電気水道ガスが完備されているが、日本では設備を追加するのも大変だ。スクラップアンドビルドの時代は終わりつつある。八時にようやく明るくなり始め、とりあえず乗り方不明のままにトラム(路面電車)に乗ってみる。そして終点で「どうやって切符買うのさ」と運転手に聞いたら、「最初に買ってもらわないと困るなあ。もう今回はいいから」といわれ無料で乗車した、は、いいが、ここはどこだ。 ただというのは、考えてみればインドネシアのボロブドゥール寺院以来だ。大きなお金しかなく。おつりを面倒と思った切符係りが笑いながら「行け」と合図してくれたなあと思いながら、早速トラム回数券を購入。しかし、これもずっと反対側から使っていてたようで、何度目かの乗車の時に初めて検問が来て、事実が判明し、その回数券は没収、新たに購入させられてしまったのである。 そうやって彷徨しているうちに夕方になってしまう。 運河は凍っている。空は憂鬱が覆っている。雨は、やがて、何パーセントかは雪になって、耳を中心に顔に容赦なく吹き掛けてくる。それでも私は散歩を敢行する。傘も買った。一番安い赤い傘は子供用の傘で、正に安物買いの銭失い状態となり、両肩と下半身を濡らしながら、目的地にたどり着いた時には衣服の重量が二倍になっていた。ホテルから僅か三分というのにだ。 アンネフランクの家。ミーハーに遊びに行く場所ではないので、朝焼けの中見に行きたいと思っていた。迫害されるユダヤ人に対してオランダ人は同情的だったという。アンネ自身も日記の中で、オランダ人の連帯に感謝の意を書き綴っている。 その家は、とてもさりげなくあった。見落とすところであった。湿った空気の薄暗い朝、同じような切妻屋根で同じ色、形の家が続く中、そのうちの一つの家だけに小さなライトが照らされていた。照らされた先には「ANNE・FRANK」と小さな黄色い看板があった。 「さりげなさ」という言葉が好きだな、と思った。 そして私は通り過ぎ、アムステルダムにひときわ高く聳え立つ西教会の前も通り過ぎ、朝の静かな散歩を終える。服の重量は三倍となっていた。 アムステルダムは都市機能として、ちょうどいい大きさだと思う。美術館博物館以外なら大抵見るべきところには歩いていける。自転車も異常に多いが(自転車専用レーンが至る所にある)、小さくこじんまりした街がいいというだけでなく、歩きやすい街、散歩のしやすい街である。 またトラム(路面電車)に乗る。トラムの乗り方は前回で学習した。ドンと座っている車掌のところまで歩いていって切符を売ってもらうか、回数券をタイムカードのような機械にガチャンと差し込むかだ。しかし、何故かそのどちらもしていないような人々が多いように見えるのは気のせいか。定期券でもあるのだろうか。 ハイネケンビール博物館。ここでは創立者の経営理念から製造過程、歴史を順番に見せられるのだが、いやそれどころかハイネケン社が飼っている馬やサブリミナルビデオ(だと思う)まで見せられるのだが、見学者の百パーセントの人々は、早く先に進みたがっている。辿り着いた先は飲み放題バーつまみつき。百三十円の入場料でさえ、ユニセフに寄贈されるという。グラス(この場合コップ)を開けると、無表情の親父が勝手に取り替えてくれる。ストップというまで永遠にだ。ジョッキを持った親父が、空になるのを鋭く見張って降り、目敏く酔っ払いを探している。さすがは世界第二位のビール会社。ビール帝国ドイツとベルギーに挟まれながらもよくやっている。 ベロベロに酔ったまま、国立博物館まで歩いていく。寒い中運河を見つめる犬を発見しては「オイ、コラ、スピノザ犬!」とか叫び、まずまず上機嫌。博物館は入口でいきなりレンブラントの夜警が迎えてくれる。プロテスタントのオランダはカトリック世界からの絵の注文がなくなり、初めて市井の人々の絵を描写し始めた時代であった。しかし、市井の人々も絵に慣れていない為、夜警で描かれた人々が、やれ自分は小さく描かれている、やれ真中辺りの奴だけが光を浴びて目立っている、差別だ平等に描けと不平不満が出て、それ以降注文がなくなったという。 国立美術館の裏はゴッホ美術館。本物に触れるということがいかに重要か分かった。実際、私は別段ゴッホがスゲエけど心に響くほど出羽なかったし、むしろ耳を切るような人が隣に引越して来たらたまらんなと思っていた。どうも有名すぎて投機対象になって何だかなあと思っていた。 しかし、正に、この黄色、ボヨヨンである。炎である。来て、見て、解った。 その後、アールデコ調のアメリカンホテルに行き、カフェに寄った後、インドネシア料理を食べる。宗主国だったがゆえにインドネシア料理は数多い。味は、その店特有だったのか、不味かった。 その後、セックス美術館に行った。(デンマークのコペンハーゲンにもあった)皆、結合部分のアップ等を見てはゲラゲラ笑っていた。私の真似してゲラゲラ笑った。しかし一人の若い女性が真剣な眼差しで写真を見ていた。私も、見習って、神妙に見ることにした。私もそうだったが、この美術館は駅前のメインストリート沿いにあり、通りすがりの人々が多いのだ。 その後、思わず世界中にある「マダムタッソー蝋人形館」に行った。蝋人形館で外が見える窓があり、街中が作り物に見えた。 その後、世界唯一のヘンプス博物館へ。オランダ人気質と言うかやたらめったら学術的なのであるう。いわくいかに体に悪くないかの主張。いわくいかに麻には他にこんな使い道があるかの主張。いわく環境に優しくて安上がりであるとの主張。いわく酒や煙草、交通事故で死亡する人々はこんなけいるのに、これで死ぬ人は皆無という主張。いわくこれがハードドラッグに移行していくという訳ではないという主張。そして、種子会社の宣伝パンフレットを貰って帰る。そのパンフは三十種類に及ぶ品種商品と、育成キットの紹介、それぞれの価格が明示されており、はっきり言って見ていて楽しい) はっきりいって噂通り、オランダでは美人が少ないように見えた。服装や寒さで防寒具で身を包んでいるというのもあるかも知れないが、ケチケチの国合理主義第一の国という感じで、シックやエレガントという言葉から遠く離れているような気がしていた。(オランダはダッチシェア(割り勘)とかゴーダッチとかロクな慣用句がないが、確かにケチの国である。コーヒーを頼むと何故かクッキーが一つだけついてくる) しかしながら、飾り窓は大変楽しい。光加減が綺麗で怪しく、ガラス一枚でこちらはマイナスの気温の中、振るえながら歩いているというのに、向こうは下着または水着だったりする。実際は分からないが、セクシーな白人黒人黄色人種多種多様あらゆる人材が揃っており、まずまず飾り窓エリアというのは集中してはいるが、文房具屋や飯屋や本屋の横にあったりして、通りを歩いてウインドショッピングをしていると急に出現し、突然ウインクされて照れてしまうのである。天井の高い建物の中に、細かく部屋が区分けされ、椅子が一台だけおかれて、セクシーポーズで手を振ってくれる。やがて慣れてくると、こちらも意味なく手を振る。 女性連れの観光客も多く見学しているのだが、中には真剣な男どももいて、暖かさを求めてなのかドアを開いて直接交渉している姿も見受けられる。その男の真摯な眼差しが笑える。カーテンが閉まっていれば取り込み中、中にはメモが貼られていて、「次は九時に開けるからまた来てね」等と書かれている。 悲壮感はなく隠微で猥雑な世界ではなく、あくまで俗悪な中にも健康がある。そう言えば、昼間歩いていた時に、開店前に念入りに梯子によじ登ってガラスを磨いていた娼婦達を目撃。商品はアタシなのよ、を主張しているのであった。さしずめ百貨店のショーウインドウに動くディスプレイという感じか。なにせ、公営売春、ピカピカに準公務員なのだから。登録制で、ちゃんと性病検査が義務付けられている。 オランダという国はあまり国家というものを意識していないように感じられる。それとも自信があるのだろうか、コスモポリタンなのか。確かに英語を母語にしsない国で一番英語の通じる国である(ビジネスは英語でするらしい)し、世界中から寛容でホモから何から集めている為、人口構成が若い国である。それにしてもソドムの世界である。 まあ、そういう硬い思いはこの際どうでもいい。いつものクラッシクカフェに行く。視聴覚には絶えず莫大な情報量が注がれてきて、普段は、その情報を無意識に取捨選択している。しかしたまにはその情報量をまともに受けようとしたり、その情報を言語に書き落とそうとしたりして、狂いそうに忙しくなる。やがて気づくことを諦め、言葉が意識を追いかけることを諦める。反対に、一点のことに集中してしまい、世の中を見誤る結果になっていく。通り行く人と、店内に流れる音楽がマッチしたと感じてしまったとき、時間の流れを肌で感じてしまったとき、大いなる勘違いの気づきの一歩を踏んでいてしまっている。 ウエイトレス。注文を取りに来るまでの長時間に、一遍の不可解な物語を創作してしまう。 お土産は、デルフト焼き、と推測される。 オランダのアムステルダムスキポール国際空港から セントラルステーションまで4駅20分という近さだ。 前に行った時、自動販売機で切符を買ったのだが、 オランダ語でよく分からず、前回より安いなあと思って いたのだが、その4駅の間に運悪く検札に来た。 (改札はない) そして車掌は行った。君は居住者?私は行った、 いいえ、旅行者。 ふーん、じゃあ、間違いね、はい3倍の料金ね。 乗り越しという概念もミスという概念もないのか、 不正乗車ということで無条件で3倍取られた。 大人の国やなあ。 しかしバス(トラム)は私はどう切符を買って いいか分からず、取り敢えず乗った。 そして検問がまたたまたま来た。(実はそれまでも そうやって切符を買っていいんか知らずに、 検問も来ずにずっと無賃乗車していた悪者です) 切符持ってないの?そりゃ困るね、最初に買って もらわないと。もういいや、次回からね。 なかなか話の分かる車掌もいるのであった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.11.01 21:30:33
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