王子動物園、春終わる
http://www.kobemap.com/sakura/s_data/056.html
最近この近くのカフェにはまってる。
http://www.geocities.co.jp/Foodpia-Olive/9987/kobe-takeya.html
月に一度は食べに行くラーメン屋。
今日は、ここに食いに行ったら旨かった。
http://www.bea.hi-ho.ne.jp/tadahiro/toubei.htm
ウマイどころかいつも行っているラーメン屋の隣にチェーン店があった。驚愕した。
http://www.geocities.co.jp/Foodpia-Olive/9987/kobe-tobe.html
今日郵便局から年賀状お年玉葉書4等のレターセットが届いた。
4等(下3桁)が当たったのは初めてだが、これは、はっきりいってしょぼい。5等の切手シートのほうが約18倍ぐらい良い。こんなところで人生のラッキーを使いたくない。
さて、本題に入るのでありますが、本日は自慢か意志薄弱かよく分からない告白というか事実というか甘さというかを報告申し上げたい。私は、高校時代、9クラスある中で理系2クラスの内の中の一構成員でした。私は、それは某国立大学理学部又は農学部しか興味がなかったのです。これでも私は隔世遺伝の色弱であり、様々な本や指導の中で技術者、工業系、マスコミ、アパレル、公務員その他色を扱うものは駄目といわれました。それは真っ赤な嘘であることに気がついたのは、働いてからでした。
http://www.pastel.gr.jp/sodan/kkss.htm
そんな訳で、私は、就職試験のときに聞かれました「あなたは色弱のようですが、いままで困ったことはありますか?」
「はい、あります。就職試験のときにです」と。
しかしながら実は、一度だけ色弱と意識したことがあります。色弱というのは微妙な色の連続の変化していく様子が分からないだけで、色の違いは分かるのです。しかし、ある山で登山をしているときに、沢にでて、その大きな岩にマジックで矢印が入っていたのです。それが剥げてきていて岩の色と変わらなくなってきて、あたかも色弱試験のような形相を帯びていたのです。そのとき、他の隊員は分かったが、私は、かろうじて何かがあるのが分かっただけであった訳で、「生まれて初めて実生活で自分が色弱であることを実感した、スゲエ」と言った鈴鹿山脈であったのです。
ああ、そうだった、さて、前置きはそのぐらいにして、私は、理学部数学科か農学部農芸化学いわゆるバイオテクノロジー科に行きたかったのでありました。勉強はある程度したのであるが、志望校もまあまあ共通一時テストでは、行けそうな気配はあったのであるが、それにとどまらず、ナポレオンヒルの「思考は現実化する」を読み、イメージトレーニングを欠かさなかったのです屈。ついでに伸運動も欠かさなかったのです。(おそらくイメージが間違えていたのであろうが。大学に入って研究を重ねる自分を想起するのではなく、苦しい受験勉強から抜け出してアソビほうけている自分をイメージしてしまっており、現実、そうなったのです)。
それだけでなく、オカルトには興味はなかったのであるが、立ち読みで読んだ背後霊に関する呪文を覚えて口走っていたりなんかもしていたのでありました。確か、今でも覚えてます、オンバザタザラトバン、です。意味は、分かりません、念仏のようなものです。
そして、私は、例に漏れず、滑り止めというのも検討しなければならないことに年明けに気がつき始めたのでした。そういう訳で、例に漏れず、私学を併願することにしました。当時は、グローバリズム反対人間で、下宿することも考えたことがなく、近くの理学部のある大学を受けることにして、本屋に願書を買いに行ったのでした。例に漏れず、そういった訳で、夜中に夜な夜な願書を開けたのですが、これが、不思議なことに全学部の願書が入っていたのであり、その時は、純粋にして無垢な性格であったため、まさか学校の受験料や入学金を得るための拝金主義いや、資本主義の原則に気がつかず、「こんなに願書いっぱい入ってたら何かええやんか」と思ったのでありました。
早速、私は、文系でこの大学を受けるという高校の同級生(身長150センチしかし親父顔、走るのが異常に速い)に電話をしたのでありました。「なあなあ、願書ようけあまってんねん、俺、文系もイッコ受けてみる気になってん、一番難しいといわれてる学部教えてくれや」
そういってしまったのが運のつきでありました。
本命も滑り止めも順調に理系は不合格となり、このおまけのみ(経済学部)が合格となったのでありました。選択は二つありました、浪人してワンランク上の学校を狙うか、ここで数理経済学をやるか。
私は、受験勉強はもう勘弁してくれ状態でした(薄っぺらですが)。そうして私は、数学系の経済の科目ばかを履修したのでありました。
入学して、一瞬にして履修した科目は断念され、1年生の成績は栄光の15単位でした。このままでは卒業に10年かかるという危機感を感じつつ、その翌年の春を迎えたのでした。