かつて、1日だけ、尼崎の湾岸の倉庫でアルバイトをしたことがあった。思い出深い仕事であった。倉庫の端に置いてある何百というプロパンガス管をおおよそ30メートル程度離れた反対側の端に転がして置き直すという仕事だ。ガス管を斜めにして輪を描くようにして転がすのだ。これは楽しい。まず仕事の全体像及び進捗状況が一目で分かる。手足は動かしても、頭の中は全く別のことを考えていられる。そして断然いいのが、仕事の終わりが明確にあるということであった。
尚、今現在の仕事は、会社としての全体像が分かりにくく自分自身がプロパンガス管のように転がされている。仕事の区切りはあっても終わりはない。仕事中に頭の中も仕事のことを考えていないといけないというやっかいな問題を抱えている。
私ともう1人のアルバイトがモタモタとガス管を頼りなく転がしている間、バイトに雇ってくれた人は何と両手で同時にガス管を2本回転方向を逆にしながら手首のスナップを利かせて同時に転がしているのだ。思わず、何だかよく分からないけど、とりあえず、スゲエという状態であった。
とにかく汗は気持ちよいほどでまくる。
ようやくお昼の時間がやってきて、どうやって何もなところで昼食を採ったのかもう忘れてしまったが、汗を拭きながら、突堤によじ登り、仕事の合間の煙草を一服吸った。
「シブイ、実にシブイ。ハイライト用意してきて良かった。かっこいいじゃん」
と自分に感心しながら遠くに見える臨海工場群と淀んだ海を見ながら思った。何故か横浜ベンになった。
自分に見とれるナルシストにはなりたくないが、自分の行動に惚れてしまうダンディズムならいいんじゃないかしらん。
私を15回ほど
私は、一瞬、惨めな気分になりました。
理由は内緒です。が、目の前にあるソレが物的要因が過去という産物を想起させてしまったのです。
私たちは知っている筈です。神という永遠が、時間という人間を、その対比として創ったことぐらい。
おお、酔っ払ってしまった。永遠という神だ!
私の部屋は、もう2時間程度、何の変化もありません。
私は、自分の家にいることが居心地悪いのです。殺風景にしてわざとそうしているのです。
私は、リアルタイムを嫌います。
私は、同時に距離を嫌います。
私は、できうれば、時空というフィルターを通して物事を見たいのです。
白昼夢か責任逃避かも知れません。
しかし、私は、何故か、参加しているのです。
アイロニー的ではないですが。
説明はできませんが、思い込みが自信です。理にかなっているという思い込み。
私は既に半分眠っています。涅槃ではございません。
私はラブレターを勝手に書きます。告白ではありません。趣味です。
私は、ここで筆を止めます(キーボードを叩くのを止めます。終わりがないから)
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最終更新日
2004.05.08 02:54:42
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