80年代、日本人初のエイズ患者の認定者が神戸から出たことをフト思い出した。
その女性がホステスとして働いていた外国人向け船員バーによく通った。(今はもうないが、エイズ患者が出たといってもそれから10年は営業していたと思う)少し自閉症気味のマスターが(私と同じ大学出身ということだ)自分勝手に60年代の曲などを大音響でかけている。チャージとかいうのはないが、何故か白人や黒人の船員が来ると、ホステスは、あまり楽しそうには見えないがまとわりついていく。経済的に貧困ではない90年代での日本での日本人話である。私は、ガンガンと、強い酒を空けていく。そして東南アジアや戦後すぐあたりの風景と見間違える光景を何度も目にして、何か不思議な気がしていた。
ふと、そのことを思い出して、その女性達は強さに惹かれたのだろうかと思ってもしてみた。強いアメリカ、強い男、負け犬が許されない、プラグマチズム、バイアグラ、レームダック・・・アメリカはよわっちいのは許されない、しかし、内心怯えている、自分ももしかして負け犬になるのではないか、不能になるのではないかと。国をあげての思春期だ。そんな思春期を迎えた前後見境のない国が世界の警察をしていたりなんかする。
私の高校生の同級生の女性はスペインに住んでおり、ドラエモンの翻訳をしているが、これだけ世界に広がったドラエモンアニメ、アメリカにはないそうである(ホントかな?)それはノビタがドラエモンに頼りすぎるから。
でも勿論アメリカ合州国は広い国であり、人口も多い。全てが子供じみている訳ではないし、半分近くはブッシュに反対なんだろう。
そんなことを思いながら、激しい音響の中でヘベレケになるにはきつい年齢になったんだなあと、静かにヘベレケ状態で思うのでした。
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