12世紀頃、タイ北部では華南から南下してきたタイ族の勢力いわゆる土候国で乱立していた。その中で、スコータイがタイを制圧し、クメール文字からタイ文字を作り出し、セイロンからの小乗仏教を取り入れた。その後、マライやカンプチア方面からアユタヤへと滅ぼされていった。
スコータイは今では廃墟と化し、静謐を守っているが、その遺跡奥地にはいまだにゲリラが出没し、夕刻には街に戻らなけらばならない。
12時頃、タイ南部のコサムイ島で船の出航を待っていた。そこに麦藁帽子に下品な風体の男が出航30秒前に走って乗り込んできた。
「あっ!Mさん!」何と大学の先輩であった。
「オー!おまえか!探しとったんや!」(タイ中で探すか?)
「何でこんなところにいるのですか?シンガポールかマレーシアではなかったのですか?」
彼は私を見つけた満足感と征服感に満たされ「あまえこれからどこいくつもりやねん」
「今、船の中で考えていたのですがね、まあ遺跡に興味津々ちゅう訳じゃないのですけど、スコータイの遺跡群は凄そうなんですよ、結構観光化されてないし、街からも離れててアユタヤとは全然違うみたいっすよ」
「そうか、わしと今から北部にトレッキングに行く!ついて来い」
それで決まりだった。
それから1週間後、我々はメオ族の村にいた。
コカコーラを勧められた。ぬるいは断りたかったが、我々のような観光客のために瓶ケースを山の中2日かけて背負って商売にしている村人がいる訳なのだなあと思うと1本頼んでしまう温いコーラ。
お話は、これからどんどん続いていくのだが、今日はこの辺りで一旦停止とさせて頂き、再開の目処は立っていない。
今日は、「台風だから大変なんですっ!」と台風は近畿圏を過ぎ去ったというのに、適当な事を言って家路を急いだ。部屋で3分程で着替え、急いで駐車場へ。
イグニッションキーを回し、おもむろに急発進。エアコンを強めて「ああ、涼しい」と素直に呟いた。
秒速17メートル、即ち時速60キロ程度で運転時間概ね10分。
http://www.kfp.co.jp/ (はっきり言って、ここの7階に来たが、別にみなくてもいいです)
閉店10分前。私はツカツカツカと廊下を歩き、ベッドを一巡し、もう一度戻り、次に店員を呼びに行き、店員に声をかけ、「この低反撥のベッド1個下さい」と言った閉店7分前。
シブイ、ベッドを3分で決めた!シブイと自分を誇りに思った。そして、商談机を見て「これも下さい」と言った閉店5分前。
やはりシブイ、5分で買い物を終えた、即決即断、間違えていても後悔するだけ、シブイ、と自分で贅に入ったが、店員さんは私のスピードにツイテ来れないようである。シブイ。
「ベッドカバーなどは?」と聞かれ、「それはいります」というまでに凡そ15秒、遅い、反応が遅い、しかし、それは色を決めるという要素もあったからだと言い訳しておく。
カバーの色を見ながらも、すかさず私は質問した「さっき、買ったのダブルベッドでしたよね?」シブイ、質問内容を咄嗟に理解した店員も頭の回転が速い!
お支払いは?そりゃ何十万もするものを、一般庶民の私がゲンナマで持っているはずがない。
「カードで払います」これは別にシブクない、大衆的感覚に違いない。しかし、そこで店員は鋭く切り返しトークを発した。「現金でしたら消費税サービスしときます」とニキビの後が残ったまだあどけなさの残る女性店員(推定年齢22歳独身)は少し照れながら言った。「それならそうします」と言うまでに凡そ0.2秒、シブイ、瞬時にどっちがお徳か判断してしまった私であった。さすがに高校の時、県下で数学6番取っただけのことはある。シブイ。
「では、本日前金でいくらかいただけますか」と推定22歳独身さんは言った。私は満面笑顔から財布を空けた瞬間に般若に変わった。シブイ、お札がない。「ガキの使いです」私は硬貨を出して、「残金は○○万○千円と端数を払いますね」と顔で誤魔化して心で穴があったら入りたかった。
既に、閉店時間は越え、上階の映画館からEVで地下駐車場に降りたのであった。
先程、店にファックスした。
「今日はありがとうございました。よく考えたら入るかどうか分らないので、サイズ、書いてファクスかメールいただけますか」と。
いやあ、シブイ夜だった。台風はもう去ったようである。
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