イランの京都(古都)イスファーンを流れる川がある。そこに、橋が何本か架かっているが、そのうちのひとつに
ハージュ橋というのがあった。(Hで始まるがHは黙字で、地元の人にいくらハージュ橋はどこか聞いても通じなかった。地図を見せたら通じた。アージュ橋が正しいようだ)
その橋の下には、装飾で埋め尽くされたお茶屋があり、賑わっていた。そこで水パイプを思いっきり吸った。
夕陽が川に沈んでいく様子を腰に手をあてたまま、眺めていた。
頭の中に電波が走った。
「帰ったら京都の桂川の橋の下へ行け!」
数ヵ月後の帰国後、私は京都、嵐山に急いだ。
渡月橋に辿りついた私は、ボートでラヴラヴカップルをよそに、早速、橋の下に降りた。
そこで、見たものは、ナント、鶏の足跡だった。
京都は、秋も深まっていた。
私はおおよそ10冊程度の本を平行して眺めているので、内容が全然頭に入らず、おまけに3日程度に本を替えていくので集中力散漫になっているのだが、梁石日の「魂の流れゆく果て」というのは1日で読めてなかなか良かった。処女作「タクシー狂躁曲」を昔作者でなく題名で買って楽しく読んだなあと何か懐かしかった。勿論、「血と骨」は2年ぐらい前にはまりました。