シンガポールを三日間滞在した後、高速艇はインドネシアのタンジュンピナンにたった三十分で到着した。空路以外の入国はビザがいると聞いていたので、イミグレーションオフィサーが何かいう前に、有り金を全部見せるという子供だましの手段に訴えた。笑いながら、パスポートにスタンプを押してくれた。
木の突堤に足を踏み入れると、ガラム煙草の丁子の匂いが国を充満しているのが分かった。暑い国では甘さを許容してしまう。その匂いに加え、土の湿った臭いがしてくる。
生まれて初めて水を買った。先の船旅に備えて。異郷の地で食べ物が合わないのは我慢できるが、水が合わないのは致命的だ。いくら慣れ親しんだ料理でも味付け以前に味が違う。浴びる水に対する体の反応も。
全長十メートルの船は体操座りが辛うじてできる程の乗客を乗せて出港した。マラッカ海峡の上で、私は同じ質問を何度も受け、延々と答える。名前、出身、仕事、インドネシアの感想、年齢・・・・
朝、起きると河に入っており、私はまた同じ質問を何度も受け、延々と答える。
二回目の夜はついにたまらなくなり屋根に登り、寝袋に潜って眠る。
三日目の朝、靄がかかり両脇の陸から木々がかすかに見える。寝袋は朝露でべったりしている。円錐形の葉をぎっしり詰められた両切りの煙草の煙は、船の速度にぴったりだ。一メートル下では重なって人々がまだ眠っており、もはや、質問はなかった。
昼。石油の出るだけの退屈な町で。
個人経営のパン屋兼八百屋兼冷凍食品店兼お菓子屋といった感じの店があった。ザリガニ釣りのために、いつも竹輪一つ買って、ザリガニも嫌うと信じられていた皮だけ食べて赤いバケツに放り込んで、池に向かうという少年達の一人が私だった。
それから十年近くの間に、町は奥へと造成されていき、その中にスーパーができ始めた。また、我々の古い家周辺も庭を壊してガレージを造り、車やバイクを購入し、行動範囲を次第に広げていった。
私は高校生になっていた。文化祭の用意のために急遽林檎がひとつ必要になり、その店を思い出し、十年ぶりにその店に訪れた。店の面積は縮小され、奥は食堂になっており、引き戸の隙間からちゃぶ台のようなものと家族が見えた。何かいけないものを見たような気がした。奥からきっちり十年分年をとったおばさんが出てきた。林檎は三つセットで売っているものが一つだけあった。私は恐縮して自信なさそうに「ひとつだけ欲しいのですけど」とおばさんの目を避けて林檎を注視したままいった。おばさんのため息が聞こえてきたような気がした。そして、おばさんの手がためらう様に、林檎に伸び、ゆっくりパックからひとつだけもぎ取り、素早く価格から三を割り、端数切り捨ての値段をいい、私に林檎をゆっくり差し出した。
それから暫くして、店仕舞いと同時に家族さえも引っ越していった。
時代の速度は、相変わらず速いままだ。意識でさえも。
そんなことを考えながら、六時間後に出るバスを待ちつつ、街の小さな市場を歩いていた。小さいながら等身大の市場だ。サランラップに巻かれて窒息しそうな綺麗なだけの食料が並ぶスーパーマーケットと違い、ドリアンの強烈な臭いを筆頭に、濃厚な空気が充満している。時折、子供にからかわれてみたり、店の人に呼ばれて試食してみたりする。
朝には海沿いの町パダンに到着した。シャツはすっかりバスシートを掃除して黒ずんだ。顔は汗を何度も流しては乾かし、その度に夜風を受けたために塩と砂を交えてざらついていた。潮で体を拭きたいと思った。そのまま泳いでみたいと思った。
とにかく町外れまで歩いてみた。川があった。幅十メートル程の濁った川。橋はなかった。渡し舟が一艘あった。当然商売なんかになる筈のなさそうな人通りのない道端。川向こうにはあぜ道が続いているのが見える。一日いったい何人がこの舟を利用するというのだ、とは思ったが、船頭のおやじは苦虫を潰したような顔を一向に崩そうともせず、私を獲物と見据えると、「乗れ」と合図した。乗船時間十秒、三漕ぎ。運悪く、私は五百ルピア(四十円)札しか持っていなかったので仕方なく渡すと、そのままくしゃくしゃにお札を丸めて、苦虫おやじのポケットの中に吸い込まれていった。その表情を崩さぬまま「早く行け」と手で追い払われる。「おいおい、お釣、お釣をくれ」と私は呆れながら手を出すと、「ぼったくってやったぜ」という後の急に優しくなったり怒りっぽくなったりした態度にはならずに、「道はあっちだ」と私を追い払う。もう一度催促してみたが、相変わらず苦虫を潰し続けている。
「参ったよ。苦虫ポーカーフェイスじいさんよ」私は頭の中で、頭をポーンと叩いてあぜ道を歩き出した。
すぐ丘の上に中国人墓地に辿り着いた。剥げ落ちた水色の墓が急斜面に散在し、その先の絶壁の向こうは荒波の迫るインド洋が広がっていた。海は遠くに行く程青さを増し、空と海との境界線をあやふやにしていた。近くに亀のような島がひとつ。直径三十メートル程で、木が覆い茂って地肌を隠していた。
脇道から砂浜まで降りてゆき、十数キロある荷物を降ろし、椰子の側に置き、全服をその上に置き、荒波に向かって行った。
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最終更新日
2005.02.02 01:30:29
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