先日の日記で約束したとおり(誰と約束したかは定かではないが) 今日は石川県能登半島最北端
「狼煙」に行った時のことを書こうと思う。
その年の冬、12月30日、我々は、車2台にバイク3台で、能登半島へ向かった。我々とは、大学の仲間であるが、具体的なメンバーはあまり覚えていないし、何故そこに行ったのかは憶えていないが、とにかく、出発は同じでも、現地集合のキャンプであった。
「厳冬キャンプ、魚のナベ食べ放題バカバカツアー」はかくて遂行されたのであった。
雪が舞い、車を恐る恐る走らせて、もう日もどっぷり暮れた頃、私は、叫んだ
「おお、おおかみけむりの標識がでたぞ」
すると、わたしより4歳も年下のY(現在鹿児島在住。子供のまま。
参照)が言った。
「トイモイサン、あれは、のろし、と読むのですよ」
私は、Oをその場で降ろそうかとも思ったが、ぐっと我慢して、ちょっとだけしばきまわした。
隠すほどのこともないのであるが、私が最年長にほぼほぼ近かったという事実はあり、大学生的に言えば、天皇的立場にあったので、ちょっとだけ強権発動しただけであった。
現地について、早速テントを張り、ナベを雪降る強風の中、作り始め、宴会が始まった。勿論、冬だって容赦なく、キャンプファイヤーはする。
例に漏れず、火を見ては逆上し、雪は何のそのである。しかしながら沈着冷静な私は、子供に近いYが海に飛び込もうとするのを静止するほどの余裕まで持ち合わせていた。
しかし、例に漏れず、その1時間後には、余裕で、私は果敢にも寒中水泳を敢行していたのである。勿論、あまり記憶にはない。
私は、海から戻り、さっそく、冷え切った体を休める為にテントに入ったようである。
「だ、大丈夫か!」という声に私はちゃんと返答をしたようだ。
「大丈夫だ、まだ卒論は間に合う」と。
しかしながら唇まで真っ青になってきた私は、自動的に車に入り、ヒーターを入れた。後部座席中央で震えていたのであるが、いつの間にか、両脇にも、後輩ドモが乗ってきたようである。テントでは寒すぎたようであった。
私は、律儀だけが取り柄でもある。
「おい、吐くぞ」と私が言った時には、シートを汚される悪夢に怯えた車の所有者も観念したようであったが、ちゃんと、後部ドアを開けて、後輩のひざに胸を当てて、顔だけを外に突き出し、オエーゲゲーとやった後には、何食わぬ顔をして「終わった」といってまた眠ったのであった。
翌朝、若さゆえの回復力だけが取り柄だった私は、強烈な二日酔いもさほどなく、誰がこんな車の脇にゲロったのか、降りることができないではないかと罵り、まだ乾かぬジーンズを見て、誰が俺を濡らしたのかとプンプンしながら、酒の臭いもプンプンさせながら、帰途についたのであった。
若いだけってバカだね、よくないね、と弱冠30代にして悟り始めるのであった。