イギリスのコベントリーからの飛行機の中で、やっとパリのガイドブックをチェックし、おかんに行きたい所を聞いて、(といってもエッフェル塔、凱旋門、ルーブルだけであったが)しっかり、座席ポケットにガイドブックを入れたまま忘れて来た。
おのぼりさんツアー敢行のための指南書がなくなり、JCBカードデスクでもらった1枚もののパリの地図が残るに過ぎなかったが、まあ、いいか。
4月18日のパリの朝は、朝食抜きで始まった。
まずは、ホテルに近い
エッフェル塔に行く。勿論、私は、上ったことはなかったが、ついに今回上ることになった。9時30分開園であるが、9時5分に到着し、セーヌ川からぼんやり
エッフェル塔を眺める。2012年のパリオリンピックの看板が塔の1階部分に掲げられ、景観を阻害してくれている。自慢ではないが、おのぼりさんである。列を作って9時30分を待っていたが、実際開いたのは9時40分頃で、大変適当振りを垣間見たが、別に文句はなかった。
パリの街が一望でき、日本人ツアーの後ろについて(実際は、ガイドさんの横に勝手について)おばはん達の一味に紛れて、何がドコにあるか俯瞰したのであった。1500円ぐらい。
これでパリの概要は凡そつかめた。完璧だ。ん、おかんはよく分かっていない。
次は、地上から何がドコにあるか俯瞰するため、
セーヌ川下りに参戦した。エッフェル塔横のセーヌ川沿いから観光船が出ていたので、早速購入したが、全然客がいないと少し不安になりながら船着場でボーっとしてたら市内の幼稚園児の遠足及び郊外の高校生の遠足軍団がやってきて船はいっぱいになった。電話機のようなもので聞き、日本語も対応してもらうようにセットしてもらったので、橋や川沿いの
コンコルド広場、ルーブル、オルセー、
アラブ研究所、ノートルダム寺院等を見た。2000円ぐらい。
これでパリの概要は凡そつかめた。完璧だ。ん、おかんはよく分かっていない。
「あんた、おなかすいたがな。豪華なフランス料理食べさせろ」
という母のリクエストに答え、
3秒で店「とぅーみゅー」を決め、渋く店に入っていく。インディアンとかタイとか書いていない店は全部フランス料理に違いない。
「ボンジュール」私はしなやかに挨拶し、それで、私の知っているフランス語は半分終わった。あと半分は「メルシ(ありがと)」だ。これは帰りに使う予定だ。
メニューを見て、決死の覚悟でフランス語を読むが、さすがに飲み物しか分からない。創造力は知識と知識との組み合わせである、詰め込み教育が必要だと実感する。夢は具体であり、知識だ、知らないものからは何も生まれないと実感しながらメニューを見るが分からないので、英語で説明してもらう。8000円ぐらい。
その後、スーパーマーケットに行って買い物をしたあと、メトロに乗って凱旋門に行く。メトロは180円ぐらい。乗り方はスコブル簡単である。
勿論、私は凱旋門には上ったことはなかったが、ついに今回上ることになった。らせん状の階段を上ると大変疲れるのである。見よ、あれがシャンゼリーゼ大通りだ、とおかんに説明して終わり。1500円ぐらい。
これで更にパリの概要は凡そつかめた。完璧だ。ん、おかんはよく分かっていない。
その後、シャンゼリーゼ大通りを歩き、
エリゼ宮を抜け、コンコルド広場を抜け、
マドレーヌ寺院に行き、
オペラ座まで歩いた。既に凱旋門から3時間は歩いているので、散歩が本業の私は、これでも稼げないのだなあと嘆くが、その間におかんは絵を描きとめ、これまた売るつもりやなあと思い、稼いでいるなと感心する。
これでパリの7区8区9区の概要は凡そつかめた。完璧だ。ん、おかんはよく分かっていない。
そして、疲れたのでメトロに乗り、シテ島で降り、
ノートルダム寺院を見学する。
勿論、私は寺院のてっぺんには上ったことはなかったが、まだおかんは上りたがったが、もういいやんと私は言っておいて1階の内部のみ見学した。無料。
そこからセーヌ川を渡り、学生街であるカルチェラタン、サンジェルマンデプレ方面に突入。もうこの頃になると随分適当になり、ただ歩き続けるのボレロになり、60を越えたおかんに既に朝から8時間は歩いている状態になり、思考力はなくなっており、メトロに乗って、ホテル近くで降り、カフェに入り、ビールを飲み、ついでに飯まで食ってしまう。
時計を持っていなかったので、時間を聞くと、20時半になっっていた。が、まだ外は明るく気がつかなかったが、急いで、スーパーでビール(650CCハイネケンが200円)と水(500CCで50円)を買い、おかんをホテルに押し込んで、これからトイモイ、マイタイムといい、パリの夜の街に消えていくのであった(わしも元気やなあ)
夜歩いてたらエッフェル見えた
それで00分になったらエッフェル塔が10分間チカチカ光出した。