秀吉の天下統一以降、隣組などの相互監視制度をひいて日本は均一化したという。こんな話を思い出した。
ある村のたんぼは虫が発生して、どの家の田もダメになってしまった。1件を除いて。
その1件の百姓自身も何故自分の田だけが、豊作だったか分からなかった。
それを妬んだ村の人々は、その百姓の家を村八分にしてしまった。
そこで困ったその百姓はどうしたのか。
「おらの家だけ豊作だったからええだろ」と自慢して村八分を無視したわけでもなく、不作だった村全体に平等に米を配り与えた訳でもなかった。
豊作の自分の田んぼに火を放ったのであった。
日本らしいエピソードである。
ところで、何故その田だけが豊作だったかといえば、その田の横に松があって、その松が害虫を追いやっていたというのが、後年の見方である。
白糸の滝。
車を抜かしたり、渋滞の一番後ろについたときにファザードランプをつけるようになったのは、1990年頃からだったのではないだろうか。
1992年、関東何でも地道車ツアーを敢行したときに、岐阜で一泊、翌日の夜中に富士山麓を走っていた時に、運転を交代した奴が、ペーパードライバーで恐る恐る運転をしていた。
「後ろついたから、脇に寄って抜かさせてやれや」と私が言い、後続車が抜かしていくたびに、チッカチッカと2回ファザードランプをつけた。
「何じゃありゃ」とオール関西人の我々は、滑稽で笑った。
「あれってもしかして、感謝の気持ちちゃううん?ドケドケのパッシングとえらいちゃうやん」と愉快で笑った。
それから関西に伝わってくるまで、そう時間はかからなかった。
それと関西では信号待ちの時に、ほとんどの車がライトをスモールライトにするが、この分岐点は滋賀県であった。滋賀県の大津市、京都府の伏見区辺り以降になると、信号待ちも、ずっとライトをつけたままであった。
最近はどうだろうか。私も、ここ5年ぐらい、もうスモールライトにしなくなってしまった。