3回目から20003回目までの望年会詳細は、紙面の都合上省略させて頂いたのであるが、忘年会という言い方、その年が良かろうが悪かろうが、忘れてしまおうぜって魂胆なんだろうか。暗澹たる気分になる危険性を孕んでいることに薄々気がつき始めた年頃。
昨年と同じ店に行った。勿論、昨年の猛省の件はとっくに忘却の彼方である。
1皿9900円の肉を食った。人間コンピュータ実利主義といわれた私の瞬時による計算によると、一切れ600円である。それを6人テーブルであるから、一人1650円である。つまり3切れである。即ち、食道通過速度0.5秒で咀嚼時間4秒肉の口内体温による溶解度も鑑みて、5秒×3切れ=1650円である。見苦しい計算は得意なのかも知れない。しかし、人生の計算や異性への計算はスコブル鈍く、恐らく頭の中はシナプスの代わりに真空管回路もあると予想される。
どういうわけか、それほど酔った訳でもないのに、店を出ると、高級なものを早食いしたせいか、胃が高級肉に慣れていないのか、エグゼクティブらしく、気分が悪くなってきた。そんな訳で、皆さんは2次会3次会と流れ、高級肉で潤った胃袋を、1杯290円のチューハイで薄めてしまう姿を尻目に、鶴橋駅より急遽自宅に帰還した訳である。
朝起きても、二日酔いではなかったということは、恐らく、胃袋の神が、肉を体内に温存せよという指令を出したのであろう。
先日、偶然、テレヴィで高校生駅伝を見た。何を隠そう、私も高校生の時は駅伝ランナーとして、市大会で上位6位までしか行けない県大会への出場を2回果たした訳であった。高校の頃の全国大会での歴代優勝最高タイムは2時間8分台であり、当時の瀬古俊彦選手が一人で走るのと変わらないという時代であった。大人ってすごいのだなあ、とつくづく感心していた時代であった。
兵庫県は報徳学園と西脇工業がいつも熾烈な全国トップレベルの争いをしていて、全国大会入賞より県大会で優勝する方が難しいといわれていた。
高校一年の時の兵庫県の出場校は西脇工業であった。全国大会では7区ラストランナーが私と同じ1年生であった。彼、B君は、中学生の時から有名で、彼の父が私の父と同じ勤務先であること、私が3歳の時に引越しをしなかったら、彼と同じ中学に通っていたかも知れなかったということで、父でさえ彼の存在を知っているという有名人ぶりであった。
6区のトップで帰ってきた千葉県のランナーとほぼ同時に2位でやってきた西脇工業。それを見て「B君は高校1年の5000メートルで夏の全国大会で2位の実力であったから、解説によると、千葉県のランナーも1年生らしいので、余裕だな」と思ったのであるが、解説は続いた。「千葉県のT選手は夏の全国大会で1位でしたからねえ。B君も2位なんで1年生対決微妙ですねえ」
5キロ、二人は併走し、手に汗を握ったのであった。
競技場でB君が千葉県を僅かな差でかわしたのであった。
翌年は、報徳が全国大会に出場した。報徳には、中学校の時の後輩N君がいた。N君は中学校1年のときから全国大会に出場していた。その時1500メートルの彼のタイムは4分19秒。(私がそのタイムを切ったのが高校2年であった。それでも、市大会で予選落ち)N君と走っていると、つくづく才能なのだなあと思わざる得なかった。N君の活躍もあり、そのときは大会最高記録の2時間5分台をマークした。当時の大人の世界最高マラソン記録より速かった。(今は2時間4分台)
昨年の高校生駅伝のタイムが2時間1分台という脅威のタイムだったのだが、今年は5分台であった。まあ、そんな訳で、手に汗を握る即席テレヴィ中継鑑賞会であった。
自宅近くの夕暮れ