不思議なことだが、前日、電車の中で立ったまま、寝過ごして、降りるべき駅を降り過ごした。その程度の酔い方だったので、朝起きるのは多少辛かったが、それでも急いで、大阪インタナートオナール空港に行った。
先日の予告どおり、ガイドブックはなかったのであるが、今日は、世界は広しといえども、九州でただ一人しかいない奴隷君の案内によるものなので、安堵のままであった。何を隠そう、それに鹿児島は、3度目なのである。
彼が、奴隷に至った経緯も既に記してある少年Yである。
Yとは、多分、東京でK(渾名プリケツ)の結婚式以来5年ぶり程度である。結婚式で、我々が結婚式を無茶苦茶にしたのを目にして、我々(大学の先輩達のことだけど)を決して呼ぶまいと心に誓ったと今更に言っていた。そんな訳で、彼は、鹿児島にひっそりと生息し続けるのボレロであった。
そんな訳で、多分、桜島がバンバン噴煙をあげる為に、市内から遠く離れた山間の盆地に開かれた空港からバスに乗ること、1時間という莫大な時間をかけながら(大阪-鹿児島のフライト時間は55分)、鹿児島市内屈指の繁華街、天文館に到着。その横の飲み屋街にはかつて行ったことがあり、安価なのにびびったこともあったが、それはおいといて、その短いアーケード通りに立つ。デートするにも、時速0.01キロで歩かなければすぐに通りきってしまうのであった。
Yに電話をすると、「では今から、リンカーンコンチネンタルで向かいます」と言って待つこと15分、ボロボロの車でやってきた。「鹿児島では火山弾や死の灰が降ってくるから中古車で十分だよなあ」と私はねぎらいの言葉をかけると、「そうなんです。車社会ですから、車を買った瞬間に、彼女ができ、出来た瞬間に結婚もできました」などと多少真面目なことを言っていた。「おまえそんなこといって、おっさんになったくせに、顔は子供のままやな。もしかせんでも、おっちょこちょいのままか」と追い討ちをかけてねぎらったが、「田舎のペースが私には合いますわ」と満足気であった。
「ドコに行きますか」という彼のリクエストに対して、私は「桜島100周と指宿(いぶすき)の砂風呂100分だ」といったら、「了解です」とのことであった。でも、桜島行く人あまりいませんよとのことであったが、私の幼児体験の中では何かのサスペンス劇場のテレビの中でゴツゴツの岩の中を走る車の風景があったのであった。
彼による鹿児島郷土については、以下の通りであった。
● 西郷のことは「せごどん」という。多分、なまっているのだろうか、西郷隆盛とか大久保利通の悪口をいおうものなら「聞き捨てならん」と近くにいる他人にちゃんとからまれますよ、とのことであった。それは、前回の鹿児島訪問でも散々聞かされた目新しいモノではなかった。
● おまえ、東京の企業の採用なので、どうしても地方との人との給料格差ごっついんちゃううん、という私の質問には、素直にその通りですと、答え、よく取引先と収入の話になり、言えないんですよ、と言っていた。私の勝手な予想によると、多分、1.2倍から1.7倍はあるのではないかと思う。
● 鹿児島の言葉は、どうも北部の県の言葉とは違う、例を挙げてもらったが、すっかり忘れた。鹿児島市内ならいいが、少し地方に行くと、道を聞いても、10年住んでいる彼でも聞き取れないと豪語していた。
● 「え、トヒモイさん、今日来て今日帰るのですか、馬鹿じゃないですか」と奴隷らしからぬ意見を申したので、粛清しておいた。「じゃあ、また行くことにするよ」と曖昧な返事もついでにしておいた。
● 鹿児島中央駅から3駅向こうに住んでいるそうだが、駐車場2台ついて家賃は6万円という非道ブリであった。可処分所得を考えるとかなり優雅で感傷的なスノッブな生活ぶりのようである。
● 月に1度は墓参りにいかなければならなく、嫁の母の親戚の墓を4ヶ月に一度掃除に行くノルマもあるようである。ノルマ月間を減らす為に多産のようであると、幼稚な分析をしていた。
● ある病院では入院室から桜島が見え、それで病気が治ると医者が真面目に言っていたそうである。
● 飲みに行く時は、会社からタクシーで向かい、また会社に戻り、そこから代行車で帰るそうである。
● 彼自身は親が保険会社ということもあり、子供時代に7,8箇所住まいを点々とし、彼の話し言葉が鹿児島弁が入っているのかと思っていたが、青春時代を過ごした名古屋の言葉が入っていることを発見。そういうものなのだろうか。
● 私と同様、九州全土にはよく旅行にでかけているようである。しかもあれだけ私に迷惑をかけたボルネオ島には、あれから2回も行っているマヌケぶりであった。
そんなことをいっている間に、時間は益々なくなり、指宿に行くと、片道1時間かかり、大変なことになることが徐々に判明してきており、そして、砂風呂に入ると、砂だらけになりますよというごく当り前の懸念事項をも鑑みて、次回に譲ることにして、島津別邸に行くことにした。
仙巌園は、10年住む彼にも前は1000回通っても入るのは初めてのことであった。私が神戸異人館に入ったことがないのと同じなのであろう。1000円の入場券もあったが、ここは豪華バージョンで屋敷案内及びお茶、おっ茶菓子付1500円コースを豪華にも選択した。彼も、すこぶる満足したようで、年間パスを購入すると決意していた。
千尋巌は何だかよく分からないが、山間に3ヶ月のべ3900人をかけて作ったとのことであった。
帰りは日本一でか楠木を見た。蒲生。ヒーリングプレースでもある。