淫猥と笑いの混在、美を愛でられながらも嫌悪される存在、そんな多面性を持ったもの・・・尻。
伊太利亜語の尻はラテン語からきているらしい、それは座るという意味。尻の中でも最も唾棄されながらも愛されているANUSもラテン語であるが、これもサンスクリット語の座る、からきているらしい。
昔、某ビール会社で、ジアース(The Earth)であるが、これは英語圏の人に受けたな。ASSの語源はギリシア語で尾っぽのことらしい。
我慢する苦痛と、解放する快感、このアンビバレンツな感覚。汚れを曝け出したくないと言う消極性と、汚れるからこそ早くだしてしまいたいという積極性の混在。
昔、貴族達の多くが、食いすぎと運動不足による慢性的便秘により、医療行為としての浣腸のレベルを超え、一種の流行にまで発展した。優雅な装飾を施した
浣腸器 を操るのは下女や下男の仕事であった。ルイ16世の日記は。「今日は何もなし」のあとに、狩りと浣腸のことは几帳面にかかれていたらしい。
尻に敷かれる。私の得意なところではあるが、英語では、「親指で抑えられる」「雌鳥につつかれる」「エプロンの紐につながれる」、ドイツ語では、「スリッパに敷かれる」、イタリアフランススペインでは、「膝丈ズボンをはく」言い、尻に敷かれるという表現はない。
比喩ではなく、実際に尻に敷かれたがる男は多いのではないか。アリストテレス、アレクサンダー大王を家庭教師している頃、そこにいた女官に誘惑され、愛の馬になって鞭打たれていたという伝説もあるぐらいだ。ビスマルクが婚約者に「あなたの馬になれといわれても構わない」という手紙をしたという。まあ、社会的にエライ人やえらそばっている人は、個人的には敷かれてバランスをとっているのであろう。
まあ、そうやって一般論ばかり書いてきた訳だが、私が個人的な尻のことを書き出すと、今宵は眠れなくなるので、今日はここで第一部は序章で終了しておく。