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何を隠そう、写真はソウルなのだが、それとは、関係無しに、母から携帯メールが入ってきた。「あんたハワイいっとったん?25日の消印になっとったで」と。何を隠そうマザコンであり、母親思いである私は、昔、イランで手紙を出して以来、いや、バンコクで金がなくなって金の無心をして以来、いや、あのときは、金がなくなったと書いただけでいたずらに母を不安がらせただけで、実は金はまだ1,000円残っており、その後1週間旅行を続けたのであったな。
まあ、そういうことはどうでもよく、「ああ、1泊だけな」と気障なメールを返信しておいた。手紙の内容も、家族思いなので「今、ハワイ」とだけしか書かれていない。それが、私の優しさなのである。
そんな母に6、7年前に開館した、美術工芸館に連れて行けと言われて、無理矢理連れて行ったことがある。(私の華麗なる運転で)何でも、母の師匠のような人がいっぱい作品が飾られているということであった。何でも、私には、私自身が芸術肌なので、芸術的なことはよく分からないまま、見学したのであった。
そんな訳で、今回また行ったのは、アンコールワット、パガン、スコータイ展を見るためである。
といっても、何を隠そう、恥ずかしながら、まだその3つにはいっていないのである。是非、死ぬまでには行くのである。下手したらアンコールワットあたりなんかこの正月でもいってもいいかなーなんてノー天気で考えている程なのである。
何せ、学生の時は、まだアンコールワットのあるカンボジアに入国することはできなかったし、パガンのあるミャンマー(当時はビルマ)には1週間ビザしか下りず、強制両替300ドルがあり、そのお金を捻出できずに諦めた経緯もあるのだ。当時のビルマは、まだアウンサウンス-チーも有名ではなく、ネウイン将軍が幅を利かせており、通貨も75チャト札とか、適当な通貨でブラックマーケットがはびこり、ジョニ黒売れば1週間過ごせるという時代であった。将軍は簡単に通貨を1夜にして廃止して新札に代えるので、1夜にシテ文無しになるため、皆、外貨しか信じていなかった時代なのである。
そして、スコータイ、これはタイにあるのだが、自転車で横を通ったことがあるが、夕刻になると、当時は、共産ゲリラがよく出没したので、日和見組の私は、行かなかったというか、50キロほど寄り道しないといけなかったので、しんどいので安易に諦めたという時間はあるけど体力がない学生時代に相応しい理由で諦めた経緯があり、それは、今でも少し後悔している訳なのである。
夢前川は、子供の頃、よく泳いだ。川は、水温が水の表面と底が違うし、流されるし、タニシや黒いトンボが飛んでいるので結構楽しかったなあ。
おまけのソウル駅