オフィス街というところ、歩いていてもつまらない。そこは、金で金を売る或いは吸い上げるだけの場所である。世界中どこに行っても、魚屋は魚屋と分かり、パン屋はパン屋と分かり、花屋は花屋と分かり、乾物屋は乾物屋と分かる分かりやすさが良い。
ロンドン郊外のグリニッジに近い町に滞在したことがある。町の規模は小さく、端から端まで歩ける等身大の大きさが心地良い。その町には、町に1件の不動産屋、町に1件の金物屋、町に1件のフレンチレストラン、町に1件のインドレストラン、町に1件のタイ料理屋、町に1件の果物屋、町に1件の八百屋、町に1件の本屋、町に1件の靴屋、街に一軒の眼鏡屋・・・それだけで自足しているイメージ。歩いていると心地良い。軒先に商品を並べている光景は、原風景という感じである。
食べ物、着物、乗り物、金物、置物、履物、そういったモノと密接に私たちは暮らしてきた。今は、壊れたら捨てる、捨てる方が修理するより安く済んでしまうということなのだが、それでいいのか。何かに騙されている気がする。金銭的経済効率だけでいいのだろうか。
サランラップの代わりに、別の皿で、蓋をして冷蔵庫に余りモノを仕舞いながらフト思った。
藻が、日本地図か