タミフルの問題であるが、薬というものは、薬好きでも薬専門家でないので、詳細なコメントは差し控えたいが、薬というものは、必ず副作用があり、人によっては、パーセンテージや体調体質の問題で意識障害が出る可能性も当然ある。安全な薬は効かないのである。市販の薬が万人向けである為、医者に処方されたものより効かないように。
要は、医者の処方と、保護者なりの看護と、何もしなかった場合の死亡確率(なんか分からないか)と、服用した場合の危険度を量りにかけることが、必要であり、タミフルは危ないだから駄目!という方向にまたもやバカどもがひっぱっていきそうな勢いに危惧するのである。日本では、確かにインフルエンザかどうかよく分からないうちに、安易にタミフルを処方している面もあって、使用量は世界一である。しかし、このままでは、禁止ってな方向にもいく可能性だってあるのである。
おまえどっちやねん、そういった0か100といった議論が多い・・・議論???何か日本の議論って、最初に結果があり、それに向かって収斂していくってのが多くないかい?確かに根回しは必要なんだろうが・・・。あるいは、議論ってたって、何だか曖昧に終わることも多いんだな。別に戯言なら曖昧でいいんだけど、その後に解釈や言い訳の余地を残す。だいたい、議論は建前が多く、本音がないため、やはり、あやふやになる。建前と本音、その狭間に利権が生じるのである。小さな所では、例えば、会社での相手先採用のプレゼンテーションでの建前と、初めから決まっている本音、鶴の一声で皆の採点が覆る、何か利権がからんでいるのではないかという疑問。大きな所では、例えば、憲法違反と自衛隊の矛盾、ないことになっているから、武器購入や周辺事態(なんじゃその言葉)やイラク派遣、いろんなところに利権が入り込む余地がある。マンション耐震偽装、牛肉安全偽装、原発安全偽装、ケーキ期限切れ偽装、車のリコール偽装、給湯器安全偽装、政治改革言うだけクラブ・・・・利権まみれやのう・・・
0か100かで思い出したのは、大學生の頃だった。
私の女性友達Aを介して親しくなった女性友達Bと何気なく、Aのことを話していた。
Bは「AとC(Aの彼氏。私の友達でもある)って、すごいよねえ。ずっとプラトニックな関係を保ってさ」
私「えっ?なにそれ?そんな話聞いたことないよ。そんなことありえないよ。そういうことをいたしたという詳細な話をしたことはないけど、プラトニックな関係なんか聞いたこともないしけど・・・」
B「えっ?夜通し、プラトニックな話ずっと聞いてきたのに・・・そういえば、一度だけ変なことがあったの。電話していると、電話の向こうから『オイ、パンツぐらいはけよ』と彼の声が聞こえてきたの。私、騙されてきたのかしら」
私「あまりしないということなんかな」
B「いや、ゼロか100よ」