昨日に言い足りなかったことが、山ほどあるというのに、適当に100分の1にまとめてないのに、尻切れトンボとなったので、やはり3部作後世ぐらいでは書かなければ、終わらないということに、気がつきつつ、こうやって、パスコンの前に座ってみると、まとまらないわけであるなあ。といいつつ、久しぶりにウオッカを買ってきて、沖縄で買ってきたスッパイマンを入れて、お湯を半分混ぜてみて、アルコール度数20パーセント程度にて、調整しつつ、オゲーオゲーと言っている有様である。
自分探しは、もうとっくに、他人の助言を全く無視して、どこか自分で探せるとか思いながら「、5分で自分が分かる」とかいう本とか、小難しい精神分析など無視して、安易な占いで、前世を占ってもらって、やたら納得するなんて馬鹿者がいっぱいいるという現状を悲しみつつも、自分探しの一環となっている旅のバイブル本ベストセラーってのを思い起こしてみる。
誰もがそう簡単に世界へ出ることが出来なかった時代、はじめての個人旅行的な本としては、小田実の「何でもみてやろう」そして副次的には、「どくとるまんぼう」であろう。その後、藤原新也「インド放浪」そして、その後の段階の世代、「深夜特急」がある。深夜特急は、今調べると初版が1983年とあり、流行り出したのは90年代に入ってからであろうか。実は、私は深夜特急世代ではなく、実は、読んでいない。何故なら、それが流行った頃、もう私は個人的旅行でアジアを行き来していた世代で、少しは読んだが、内容が経験済みの陳腐な世界に見えてしまったからだ。(2000年以降には読んでみた)
勿論、何でも見てヤロウの出版があった後、深夜特急が出版されたあと、それを追って多くの旅行本が出た。いっぱい出た。しかし、やはり、あの2人は旅行で人々が体験しないようなことを文章にしただけでなく、圧倒的筆力がやっぱりあったから、あれだけのベストセラーになったのである。
しかし、その後、蔵前氏の旅行人、下川氏あたりが、勿論、私は目を通したが、その頃にには、旅の技術的なものに、目がいっていたような気がする。そして、アジアンジャパニーズの小林氏あたりが、旅行者のバイブルになる。これは、まさに自分探しっぽい面がある。
その後か前か忘れたが、勧め電波少年の猿岩石がヨーロッパまで行くという企画が大当たり、凄いことになった。日本に帰ってきたときは数万人がどこかの球場に出迎えに集まったぐらいだ。まったく、その内容が、ここではないどこかの自分探しであったといえよう。その頃、何かのはずみで、私が旅行好きみたいなところを知られることとなると、猿岩石みたいですねえ、と言われて「違うな」と心の中で思ったことが懐かしい。
今は何だ、そうだ、ラブワゴンである。世界中の風景は楽しい、が、内容は、自分探しまっしぐらである、場か受けである、お前はお前だけだよ、私は私のママが一番だよ、なんて旅行中にありがちな風景が出てくる。長寿番組に入るのではないだろうか。こういった男女ラブラブ番組というのは、ラブアタックなんちゃらとか、紅鯨団とか、恋のコンピュター、5対5何とかフィーリングカポーとかいうのが、20~30年前の流行であった。そこにあるのは、学歴と年収、話術をベースにして選ぶようなものだったのだが、ラブワゴンはそれらは関係ない。どっちがいいか分からない。(テレビでみるのは面白くない、やっぱり年収1500万医者、彼女居ない歴生まれてからブサイクというのと、年収200万円アルバイト、彼女居ない歴3ヶ月イケメンが一人の女の子によろしくお願いします!というのが、オもろかったのだが・・・。
最近の下川氏の本によると、バンコクカオサンロードのことを題材にした本で、引きこもりでなく、外こもりという面白い言葉を考え出している。日本にいてもやりたい仕事もない、生きがいも分からない、自分探しに旅に出るといいながら、バックパッカーの溜まり場、カオさんロードで何もせず、呆然と月日を過ごしている若者が多いということを書いている。
考えれば、私も、自分探しという意味はなかったし、インドで人生観も変わらなかったが、世間体から離れてだれからも何も言われない空間が何とも心地よかった時代だったなあ。
とにかく、あたしは、自分探しするつもりはわりませんからね、探し当てたら楽しみがなくなるし、自分ってのは、ひとつじゃないし、100人の人がみたら100人に私がいるんだからねえ。あれれ、2部目は、前編で終わり、本論に入るまでに、もう寝る時間になった。終わり。ガチョーン!