そこの君、死海といえば、イスラエルだと、間違っていないか?半分は正しいのだが、死海の半分はヨルダンにも面しているのである。そのことは、ゴメン、不肖トイモイ博士もうっかり、知らなかったのである。(エルサレムから30キロ、アンマンから50キロである)
小学校の時、死海に浮きながら本を読んでいる写真を見たことがある。はしょって考えても30年以上も前の話である。それは本だか雑誌だか図鑑だか忘れたが、世界不思議なとことかもの(ねっしーとかイエティとか)の図鑑の一環でみたものか。誰も溺れることのない湖がある・・・子供の頃、そんなことを聞いた人も多いのではないか。
ホテルをチェックアウトして、荷物を転がすが、アンマンのタクシーはメーター制であり、結構、安いのだが、ここは交渉性に自ら切り替えるのである。といっても、何故かベイルートと違い、客待ちでぼーっとしているタクシーがなく、流しばかりである。場所が悪いのか。それに、オマエ乗れへんけとクラクションも鳴らしてこないし、ゆっくり走ってこっちを見るということもない。意気地のない私も、仕方ない時間がない、じゃんじゃんタクシーを止め、メーターも止めた交渉を開始である。
「死海経由の空港、今、11時だから、死海まで1時間から2時間の運転、滞在1時間、空港に13時から14時の到着でハウマッチ?」
交渉は決裂を重ね、その中でも概ねの相場感を静かに養いつつあり、遂に、たまたま車を掃除しているタクシードライバーとの交渉の結果、日本円にして4000円で手を打つ。
言い訳をすれば、バスは朝以外は不定期便であり、帰りもバスに満席で乗れなかったり、何よりアンマン市内に帰るのではなく、空港に行くのである。でもまあ、そんなことはどうでもいい。アンマンに、沙漠の町に、雨が降る。
緩やかに、ぐんぐん、高度を下げていく。いつ終わるのか、という程、下り坂が続く。緑がなく、正に死界に降りていく感じであり、やたら注意したトラックが超低速で走り、どんどん抜かして行く。事故も多いようだ。あまり速度を上げなくてもいいよ、と思うほどである。
やがて霧になり、前が見えなくなる。運転手は、大丈夫、やがて霧も終わり雨もなくなり、晴れるから、と言っていたが、まさに、晴れた。
アンマンの気温は20度程度で1年で一番過ごしやすい時期だったと思うのだが、さすがに、そんなので泳げるのであろうかと不安にないつつあったが、それは、何故かマイナス420メートルの死海、気温が高く問題ないよ、ジョルダン人の水遊び季節は3月から4月なんだよ、というのであった。
グランドキャニオン計画という看板があった。
死海は、渓谷である、それも、キリマンジャロやケニア山、紅海を通って死海へ抜ける、アフリカ大陸の東側を縦断する巨大な渓谷だ。その端から温泉が湧き出し、地球全体を俯瞰すると、これはえらいこっちゃと思うのであった。
ちなみに死海マラソンもある。
やがて、湖が見えた。塩の濃さは海の30倍(元々海底だったし)、塩の濃度30パーセント。川の出口のない湖で、水分が干上がるのみで塩度が上がっていくのである、温泉や鉱物も吹き出ており、順調にカドミウムもガンガン出ているので、飲めばえらいことになるんどえある。
とにかく、干上がっているので、そのうち死海はまっぷたつになり、そのうちなくなるとの噂でもある。
生意気なことに、死海リゾートまで存在して、最近はリゾートでエステなーんて、な状態だそうである。
死海沿いにリゾートホテル建設ラッシュで、色は統一されているのか?と思いつつ、タクシー運転手は、高いから政府公営ビーチがいいよね、といい、やがてアンマンビーチに到着し、そして、私も遂に、生まれてから最も低い海抜に立つのであった。
公営といえど、入場料はドドーンと2000円近くの入場料を取るのであった。死海の向こうの対岸はイスラエルである。私は仁王立ちである。晴れると日差しがきつい。(つづく)
バスタオルを1JD(ヨルダンディナール=135円)で借りる。
海水パンツも借りたいというと、それは「BUYだ」とたしなめられる。
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