タクラカマン沙漠に野良ラクダを列車から見る。列車から畑を耕さされているラクダを見る。沙漠を列車内から見る傍観者は、楽観的に無責任な即席ロマンチストになる。夜中は寒い。久し振りに靴と靴下を履いた。震えながら寝てしまう。
終着駅ゴルムドに朝八時到着。中国的に意味もなくだだっぴろい駅前広場に一気に出てきた人々の賑わいもほんの数十分。あれよあれよといっている間に駅前は砂埃と私とチベットに転勤になった漢民族七名御一行だけとなる。駅前には店が一件もなく、これから五千メートルの峠を超えるために買おうとしていた防寒具をどこで手にいれるか悩んだ。そこにたまたま自転車で通りがかった女性を御一行の親玉君が捕まえてくれ、何やら話し、自分が自転車に乗り、彼女を後ろに乗せて、どこかへ行ってしまった。
親切にも二人は市場でコート類を買ってきてくれるのだろうか。私は意味もなく意味のない駅前広場をくるくる回って待っていた。戻って来た彼女の手には、自分の家の奥に眠り続けていたと推測される配給品のような分厚いジャンパーが握られていた。勿論、洗濯の余地もなく言い値で買うより仕方なかった。胸に「自力更生」とプリントされているのだけは参った。
突然、私達しかいない広場にバスがやって来た。何故かバスは満員で、外を誰も歩いていないのはおかしいが、急いで乗り込む。共産圏、平等の地、大きなバスの運転手も女性だった。車掌も女性。満員というのに女性車掌は、最後部の席にドシリと座り、「早く切符を買いに来い」と怒鳴っている。私と変わらぬ年齢の女性車掌と運転手は華奢な体であった。何か不満の塊のように見えた。平等を押し付けられているのか、平等なんてやはりないのか。私は別のことを思い出していた。
フィリピンのセブ市から島の反対側に四時間行った所から帰るバスのことだ。
そのバスは島の中腹部の山の曲がりくねった道を、乗客満員のまま走り続け、おまけに一家の引越しをも兼ねていてバスの上には家財道具一式が積載されている。バスのスプリングはもはや無いといっても過言ではなく、パンクも当然であった。そういった中、車掌を勤めていたのは若い女の子。乗客の中を擦り抜ける華奢な体、切符を切る細い腕。その当たりを普通に歩いている子が、突然、止むに止まれず仕事を始めたといった構図だ。夜になり、セブ市内に入り、ようやく客がまばらになった頃、彼女を思い出し、後ろを振り向く。ぐったりうなだれた車掌としての彼女の姿があった。家族を支えている重さにひたすら耐える姿といった想像をしてしまう。働く尊さや生きがいとしての仕事から遠く離れて。
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