夢のネパールのポカラと違い、インドの
ポカランは、地獄というか、正に捨てられた地である。
ラジャスタン州にある砂漠の原爆実験場である。
ポカランは、ラジャスタン州の入り口、ジョードプルから沙漠の真ん中の城塞都市ジャイサルメールの途中にある
都市である。
朝6時、我々は、ジョードプルに到着した。我々というのは、デリーで8月10日に集合する予定であった大学の同士と後輩2人で、これからラクダ乗り回しのツアーを日本で練ってきたのではあるが、チベット経由の陸路で来た私が集合日時に1週間遅れ、デリーで残りのメンバーを探し出し、そして緊急ミーティングと称して、毎晩ネパール製商品の消化に勤しんでしまっていたのであった。何せ情報によると50年に一度の旱魃といい、デリーのインド人に相談しうると、テリブルと一言だけの役に立たないアドバイスを受けるのであった。そんな訳で躊躇している間に、更にデリーで1週間無駄に過ごし、やっと砂漠地帯ラジャスタン州にやってきたのであった。夜明け前で涼しく、原色のサリーが幻想的で美しく、黄色や赤が視界から揺れて流れ、スピードシャッターを間違えた写真のようであった。
ここから300キロほど離れたジャイサルメールまでの列車は、1日、1往復夜発だけであり、こんな感じならバスで行こうかという安易な発想となり、バスステーションに移動し、窓のないバスを見ると、空いている空いている、出発時には、我々4人しかおらず、我々は、貸切じゃあと満面笑顔で笑いながらバラバラに座ったのであった。
8時30分出発。しかし、5分、10分と走ると、人は乗り込んできて、あっという間に満席となり、熱射が吹き荒れ始めた。私の横にも赤ん坊を連れた女性が座り、赤ん坊が、ジャアーとオシッコを漏らし、私は大声で、オシッコかけられた!と叫ぶと、後方の同輩も、オレモジャー!と叫んだ。勿論、親の女性は無言のまま。まあ言葉が通じないのは仕方ないが、全くの無視かよ。
やがて、屋根の上にも現地男性が乗り込み、ガンガン温度は上昇し、砂漠を突き抜けていく。バテバテで、砂嵐が車内にも吹き込み、大変やばい状態にやってきた。
15時。ポカラン村に到着。持ってきた温度計を見ると、日陰なのに、43度を示している。我々4人は、へたばった。インド人50人ぐらいに囲まれ、質問攻めに合うが、我々は暑さのため思考能力どころか言語能力も失いつつあり、オマエ相手しろ、オマエがしろやと、先輩後輩関係なく、交渉(でもないけど)話し相手の醜い擦り付け合いをするのであった。とにかく、好奇心旺盛な田舎インド人の中でもエリート然としたオッサンが、英語で質問し、皆に通訳し、いちいち鬱陶しいのであった。
それにしても、ジャイサルメールまでのバスチケットを購入しなければならないが、チケット売り場が、10メートル先なのだが、その間に日向があり、強烈な太陽が照り付けており、我々クソッタレ文明人は、民主主義的にジャンケンでチケット買いに行くメンバーを1人選出したのであった。そこでジャンケンに負けたメンバー中最もプレッシャーに弱い後輩Kが、じゃんけんに負けただけなのに、「何で僕が買いにいかなきゃいけないんですか!」と切れた。(実は、逆切れという言葉、流行るまでにまだ10年は待たねばならなかったが、我々は、この時、不意に、オマエ何逆切れしてんねん、と逆切れKという「あだ名」までつけてしまう、流行り言葉の創始者となっていたのであった)
何とか、オマエジャンケン負けたからやろ!と10メートル先までチケットを買いにいく行かないで揉めに揉め、ええ加減にセイと、ケツを蹴り上げ、やっと渋々逆切れKはチケットを買いに行ったのであった。
またバスは出発し、今度は結構空いていた。しかし、もはや、暑さと埃砂まみれで頭も少々、バカになっていた。沙漠の村を通りがかったときに、砂の上に冷蔵庫を発見した。私は、叫んだ!バスの運転手に「ストップ!!!」と。バスの運転手は何だといって止まり、私は走った。私の後ろから3人とも走ってきた。そして、沙漠の道端の砂の上にある冷蔵庫を開けた!空だった。何だ!待て、この村、電気も来てないやないか!これは何だ!というか、バスまで止めてこの堕落は何だ!うなだれて、バスに戻る。冷蔵庫まで向かう中、頭の中でストーンズのシーズレインボーが流れたのであるが、とぼとぼバスに戻る2,30メートルは遠く、リストの死の舞踏が流れるのであった。
バスは出発し、ジャイサルメールが近づきつつある頃、乗客は、我々4人になり、無口になり、喉が渇き、体中が砂と塩だらけになっていた。そこに飛び乗ってきたのが、客引き。スゲエ、走っているのに、何かをバスが轢いた、ドンという音がしたと思うと、開きっぱなしの昇降口からインド人が乗ってきたのであった。
しかし、他のメンバー3人は、全員口を揃えて、私の方を指差し、あいつがリーダーだからアイツと交渉してくれと静かに客引きを無視しるのであった。どうやら旱魃で、客引きを大変なのである。都合3回ホテルを変えたが、どこも泊まっているのは我々だけなのであった。しかし、私も待て!到着してからだ。と答え、五月蝿いインド人を無視するのであった。
19時40分、ジャイサルメール着。インド人客引きが動き出すが、我々は、そんなのあとだ!といいレストランに直行し、リムカ2本合計8本!と頼み、イッキ飲みし、ようやく、客引きと初めて交渉開始するのであった。
地図(赤線は行ったことあるところ)